ふたり旅―生きてきた証しとして
津村節子が幼少時からの長い人生を綴った作品。
もちろん、本書で描かれるのは津村節子の作家生活が中心であるが、一方で、同人仲間からやがて夫婦となった吉村昭が、多く登場するのもまた当然だろう。
本書は津村節子が自身について語った本であると同時に、妻として作家仲間として吉村昭を描いた作品とも言えるのである。
吉村昭の下積み時代、『戦艦武蔵』で一躍世に出た時のこと、『ふぉん・しいほるとの娘』『ポーツマスの旗』『冬の鷹』といった作品にまつわるエピソード、吉村昭の執筆スタイル、闘病生活。こうした作家・吉村昭の姿に加え、吉村家の様々な出来事(家の新築、子ども達・・)も多く語られる。また吉村昭の写真も多く掲載されている。
本書は吉村昭ファン、そして吉村昭の事を知りたいという人には必読の一冊だと言えよう。
文藝春秋増刊 吉村昭が伝えたかったこと 2011年 09月号 [雑誌]
2006年夏に惜しまれつつこの世を去った作家、吉村昭さんの特集号。
徹底した取材に基づき、抑制した筆致で対象を丹念に、
そして冷徹に描き出した数々の優れた小説は、
今もなお、多くの読者を惹きつけています。
この臨時増刊号は貴重なお写真(取材時のスナップ、奥様との団欒、
手書き原稿や作品を生み出した書斎)を巻頭に、初公開の
「作家生活の原点 三陸で知った史実へのこだわり」や
二つのロング・インタビュー、逢坂剛さんや関川夏央さんなどの
「私の愛する吉村昭」、旅先での思い出や酒を語った随筆集、
そして奥様である津村節子さんのインタビュー、巻末のブック・ガイド、
略年譜など実に充実した内容です。
森史朗さんの「作家は自分の足で歩け」に記された取材秘話、
浅見雅男さんの「吉村昭が惹かれた十人」なども、とても興味深く読みました。
現在、日本は大変な試練に直面していますが、吉村さんがいらしたら
『三陸海岸大津波』の作者としてのみならず、数々の史実を
冷静な目で観察してきた傑出した作家として何を感じ、どう書かれただろう、と
考えてしまいます。その不在を寂しく思うのは私だけではありますまい。
吉村さんの作品を愛する作り手の気持ちがすみずみまで
感じられる本書は、ファンのみならず、これから吉村作品を
読みたいという方々への願ってもないガイドであると思います。
紅梅
妻・津村節子から見た夫、吉村昭の一年七か月に及ぶ闘病生活から最後までの記録である。
しかし、本書では吉村・津村の名前は一切出ず、「育子」から見た「夫」の最後の様子を小説形式で淡々と描いている。
2005年1月に、夫が口の中の違和感を訴え、やがて舌癌と判明する。しかし、舌癌治療のための検査により進行した膵臓がんが見つかる。
両方の癌の辛い治療にも弱音を吐かず、黙々と、小説家としての仕事に精を出す夫と、作家であり妻である育子との生活が、夫婦が若かった時の貧困生活や文学賞受賞の瞬間などを振り返りながら、感傷を交えぬ淡々とした筆致で描いている。
夫の人となりを描いたこの小説には二つの山があると思う。
一つは診察日に緊急入院となった夫のいいつけで、育子が金庫の中の遺書を知人に渡す折、封がしてなかった封筒の中の遺書を読んでしまう件である。
遺書には、自分の死後、死に顔を絶対に他人に見せないための工夫が凝らしてある。吉村昭氏の短編集「死顔」にも、いかにしたら葬儀の際に第三者に死顔を見られないで済むかの拘りが書かれていた。ここでは、遺言として死後できるだけ早く荼毘に付して家族葬とするよう、こまごまとした指示が書かれている。葬儀のことのみならず、自分の死後、妻の育子がいかにして生計を立てていくかまで心配して細かい計算までしてある。ここに、夫がすでに死期にあることを覚悟しており、自分の死は、こうありたいという強い意志が感じ取れる。
もう一つは、退院して自宅療養となった時に、無用の延命治療は受けたくないという強い意志の元、自らの体に繋がれている点滴の管を強い力で引きちぎってしまう件である。それだけではない、南に頭を向けて寝かされていたのを、最後の力を振り絞って北枕にすべく、体の位置をずらせていく。
夫は思い通りに自己の力で死んでいくが、自己の死を見つめる冷徹な目と強い意志の描かれている最後の数十ページは真に息をのむようなシーンである。