遠い幻影 (文春文庫)
「ドラマチックな言い回し」とか「独特の表現」とか「華麗な修飾語」という類の語り口ではないが、ぎりぎりまでそぎ落とした淡々とした文章が、真に迫ってくる。行間に「雨が降り風が吹き」余白に「季節の花が咲き」ページをめくる瞬間「懸命に生きる庶民の顔が見てくる」。
東北の寒村で実際にあった事実をもとに書かれたという『梅の蕾』を一気に読み終えた時は、涙がこみ上げてきた。おりしも医師不足対策が全国的な課題となっている今、村民の生命を守るべく奔走する村長、寡黙な村民が精一杯行動で示した医師に対する感謝の心、妻の葬儀の後再び単身赴任で村に戻ってきた医師の真摯で実直な姿に、地域医療の原点を見た思いである。
光る壁画 (新潮文庫)
胃カメラ開発に関しては、NHKの人気番組『プロジェクトX』でも扱われていましたが、感動の押し付けという批判もある同番組が苦手という方に是非お勧めします。
開発者の私生活がフィクションになっている点を含め、吉村作品として昇華されている部分もあります。しかし一方で、同じ吉村作品の『戦艦武蔵』などに共通する、研究者達の地道な葛藤と努力、そして熱意が冷静な筆遣いでひしひしと伝わってくる良作として完成しています。
関東大震災 (文春文庫)
日本人であれば、誰でもその悲惨さを学んだであろう、「関東大震災」。
1923年9月1日のその日からちょうど50年後の1973年、著者はその大災害を徹底検証し、本作品を世に送り出しました。
その災害の実態は断片的に学んできましたが、本書のように纏まった書物に接すると、認識に新たにした点も多々あります。
そのうちの何点かを記します。
【火災の恐ろしさ】
東京市で最も被害の大きかった「陸軍省被服敞跡」(現在の墨田区)では、3万8千人の死者が出たが、それは2万430坪(6万7千420平方メートル)という広大な敷地を避難地として目指してきた人々を襲った「火炎地獄」。
四方から襲いかかる炎に焼かれた死体は、3.3平方メートルあたり1.9人が散乱した計算。
「大都市に内在する火災の恐ろしさ」を再認識させられる事例です。
【流言卑語の恐ろしさ】
震災の二次被害の要因となった流言卑語。
「大津波が上野を襲った」という流言は、何と、目撃証言として、新聞報道までされています。事実無根の事柄が、まことしやかに伝えられる、その現象はやがて、「朝鮮人が襲来する」という流言(これも新聞報道あり)が横浜から東京へ広まっていく中で、「虐殺」という行為に人々を駆り立ててしまったのです。
【自警団による虐殺】
朝鮮人に対する虐殺を行った人々を私は漠然と「民間人」と思っていましたが、「自警団」という、各地域で治安維持のために自発的に組織した団体であったとのこと。
これは大変な悲劇です。
そこに参加していた人々は、地域を守るという責任を感じていたことでしょう。
でも、江戸時代ならいざ知らず、大正時代は「法治国家」となっていて、人の命を奪うには、たとえ犯罪行為の疑いがあったとしても、法律に基づかなければならなかった。
戒厳令下とはいえ、民間組織に「治安維持のための殺傷」を国が認めていた訳ではないことは明らかです。
魚影の群れ [DVD]
映画の撮影技術で最も基本的なものに“カットつなぎ”があります。様々なシーンをカットとしてつなぎ合わせることによって,瞬時に時間的な経過や空間を表現することができます。
例えば,「家を出るシーン」の次に「目的地のシーン」をつなげれば,移動時間が省略され,その間の出来事は視聴者の想像力に委ねられることになります。
一方,1シーン1カットという手法は,視聴者に臨場感と緊張感を継続させ,視聴者をその時空に引き入れるという効果を持っています。本作の相米慎二監督は,この長回しの1シーン1カットを実に効果的に使用する監督として知られています。
本作では,房次郎が俊一の喫茶店を訪ねるシーンやマグロを捕えようとするシーンにこの手法が使われていますが,違和感はなく,適度の緊張感を保っています。ただ,この手法では役者の力量がかなりのウエイトを占めますので,キャスティングが重要となります。本作では緒形拳がほぼ完璧にこれらのシーンをやり遂げており,役者としてのすごさに感動します。
作品的には“マグロを釣る”という行為自体はあまり意味が無いようですが,相米慎二監督の作品ということになると,この行為は“生死をかけたもの”へと変化します。一瞬にして生から死へと転がり落ちる可能性のあるところで生きる人々,そのような人々を彼は捉えようとしているのです。
本作は,何度か映画化が試みられた末に断念されてきた,吉村昭の原作を相米慎二監督が壮大なスケールで描きあげた傑作で,下北半島最北端の漁港を舞台に,巨大マグロとの死闘に命をかけた男と,ひたすら寡黙に待ち続ける女たちの壮絶なドラマです。
休暇 [DVD]
死刑囚を抱える刑務所での「支え役」という仕事にスポットを与えた作品。2007年上映。原作は吉村昭の同名小説。出演は小林薫、西島秀俊、大塚寧々、大杉蓮など。映画「おくりびと」の納棺師と同じように、世間一般ではあまり知られていない刑務官という職業。しかも死刑執行にあたって発生する「支え役」という仕事があることを知っている人はほとんどいないと思います。その「支え役」を担当した刑務官は1週間の休暇がもらえる規定があります。
中年の刑務官(小林)は子持ちの未亡人(大塚)と結婚することになりますが、そのタイミングで死刑囚(西島)の刑が執行されることに。上司は結婚を控えているのだから支え役は免除ということで配慮してくれますが、なぜか中年刑務官は支え役を志願し、その代償として得た休暇を新婚旅行にあてます。配慮を無下にされたことで怒る上司、そしてなかなか懐いてくれない結婚相手の連れ子。ありきたりの表現ですが「生と死」について考えさせられる作品です。刑務所の刑務官というと勝手なイメージでは、厳格で冷たい印象をもってしまいますが、実際には人間ぽくて、当たり前のように優しい。
小林薫も西島秀俊も難しい役を淡々と演じています。したがって映画そのものは実に粛々と進行します。死刑の執行場面も極力感情を抑えた描写だけに、逆に人の死が訪れることへの重さを感じさせます。ふだんは温厚な死刑囚でも、まさに虫の知らせなのか独房で暴れるのは、「生への渇望」なのでしょうか?刑を受けることを悟った西島が小刻みに震え続けるのはどんな凶悪犯でも起こり得ることなのでしょうか?そして、新婚旅行中も刑の執行が頭から離れず、思わず嘔吐してしまったのは、死への手助けをしてしまったことへの表現しがたい感情なのでしょうか。
実に重たいテーマをもつ作品ですが、救いは西島から絵を受け取るシーンと、連れ子の肩に手をかけながら夕暮れの町を歩くラストシーンです。何でもないような日常の中に潜んでいる「生と死」について考えさせる作品です。