要介護探偵の事件簿
最初はウザいおじいちゃんのことが読み進めるごとに好きになっていく。
若干ミステリ部分が弱いけど(そして主人公が博識すぎで推理力ありすぎだけど)、
なかなかの秀作だった。
特に『要介護探偵と四つの署名』はラストが爽快で思わず笑みが浮かんでしまった。
内容をやたら政治に絡めたり(主人公の玄太郎翁が権力者だから仕方ないのかも知れないけど)
難しい表現を連発したりしなければもっと読みやすくなっただろうと個人的には思う。
それにしても、著者のデビュー作『さよならドビュッシー』を読んだあとに本作を読むと
『要介護探偵最後の挨拶』ってタイトルやラスト数行がひどく切なく思えてしまう。。。
本作を手に取ろうとしている方で『さよなら〜』を未読のひとは、是非読んでおいてほしい。
(もしくは本作を読んだあと、必ず『さよなら〜』も読んでほしい)
おすすめです。
十九歳の無念―須藤正和さんリンチ殺人事件
平成12年6月1日、宇都宮地方裁判所で注目の判決がくだされた。
3人の少年が須藤正和さんを拉致・監禁、知り合いに借金をさせ、2ヶ月もリンチを繰り返し、事件が発覚しそうになると正和さんを殺し山の中に死体を埋めたという少年とは思えない惨たらしい事件だ。
当初、事件は「暴走族仲間のリンチ殺人」と報道された為、あまり注目されなかった。産経新聞宇都宮支部に勤務する著者さえ、事件を担当するまで「そういえばそんな事件があったな」程度だったという。
3人の少年の犯した犯罪は残虐極まりない。しかし、もっと恐ろしいと感じるのは3人の少年の罪悪感の無さと、栃木県警の態度だ。
裁判になっても少年達は口先ばかりで「反省」を言うがまるで反省しているとは思えない。人を殺したという自覚がまるで無いようだ。いったい彼らの心の中はどうなってしまったのだろう。
栃木県警の態度には激しい怒りを感じる。須藤さん夫妻がたびたび捜査願いを出すも受理せず、あげくに犯人に「警察」を名乗り最終的に須藤さん殺害を決心させてしまった。その後も組織防衛ばかり考えて証拠隠滅・捏造を繰り返す。市民の安全を守るのが警察の勤めではないのかと怒鳴りたくなった。
実際、東京在住の少年Dが良心の呵責に耐え兼ねて警視庁に出頭しなかったら本当に迷宮入りしていたかもしれないと考えるとゾッとする。少年Dが栃木県の少年だったら栃木県警は自首さえも握りつぶしたのではないかと疑いたくなる。
社会分業論(下) (講談社学術文庫)
下巻には、「第二編 原因と条件」と、「第三編 異常的諸形態」が収録されている。上巻が、観察可能な社会的分業の生成過程を事実として記述したのに対し、下巻ではそんな社会的分業の変革がなぜ起こるのかを探っていく。
著者は、社会的分業が必要とされる要素として、人口集中・都市の形成および発展・交通および運輸の手段の進歩などによって共同体内の密度が高まること、「社会の漸進的凝集」と、共同体内の成員数の増加による「社会内関係の増加」の二つを見出し、両者の相互作用によって社会的分業の濃度が増していき、それが一定の閾値に達することで社会的連帯の形が変わり、結果的に社会的分業の形態も変化すると論を進める。豊富な具体例を挙げて展開していくこの件を読んでいくと、デュルケム自身が社会学という名で呼んだ思考のエッセンスについて理解できた気がする。
デュルケム自身はどちらかといえば保守的な立場をとっていたように思えるし、この著作に記されている「個人は社会の産物である」という言葉や、国家が一定程度社会を統制することは当然であり、不可欠であるという考えは革新的な世界観とは相容れない。しかし、その保守的な思考がかえって社会の実在性と問題性を明確に言い当てることに役立っているし、ある意味では世界への根源的な批判の基礎にもなっている。
この書籍には、後にフーコーの「監視と処罰」でより克明になされた社会解剖の先駆となる分析が多く含まれていると思う。自分にとっては、ウェーバーより数段理解しやすく、納得できるところが多い。何で日本で人気が無いのか、名声が高くないのか不思議だ。他の人にも、デュルケムの著作をお勧めしたい。
アメリカの民主政治〈下〉 (講談社学術文庫)
政治学およびアメリカ研究に関する不朽の名著。当然、星は5個。しかし、である。正直言って井伊玄太郎の邦訳はひどすぎないだろうか。意味不明の箇所があまりにも多い。その都度、英訳本を取り出し、「日本語訳を読んでいるのに、なぜ苦手の英語を参照しなければならないのか」とため息がでる。
アメリカの民主政治(上) (講談社学術文庫)
フランスの貴族であったトクヴィル(1805-1859)は、フランス政府からアメリカの刑務所制度を研究するよう命じられて渡米し、その時の見聞とリサーチをもとに政治学の古典である本書を著しました。彼の思いの中には、革命に失敗し悲惨な爪痕を残した祖国フランスのために、革命に成功し民主政治を確立しつつあるアメリカから何かを学びたいという思いがありました。彼がアメリカに滞在したのは、まさにジャクソニアン・デモクラシーの時代、アメリカが欧州風の東部中心から広大な西部へと膨張しつつあり、普通の人の政治的重要性が質量共に増大した時代でした。彼はそのようなアメリカを観察しながら、民主主義の持つ強さと弱さを正確に分析叙述します。
本書の中で特に印象深い叙述を上げるならば、一つはインディアンについての精緻で同情溢れた視点です。今から50年ほど前までは、アメリカの進歩的と言われる知識人の中でもインディアンについて同情心を持っていた人はほんの僅かしかいませんでした。これは彼がフランス人だからこそ持ち得た視点でしょう。
もう一つは「多数者の専制」という民主主義最大の弱点を指摘したことです。民主主義において多数者は自らの意志を実現することができますが、それが少数者を圧迫し絶望へ追い込むようなことになれば専制となり、民主政治そのものが崩壊するというのです。
近年、ますますポピュリズムと劇場化の度を深める日本で、市民としての責任を正しく果たすためにも、トクヴィルの言葉に耳を傾けたいものです。