ヒース・レジャー追悼写真集 【3000部限定生産】 (P-Vine Books)
『ダークナイト』で圧倒的な存在感を魅せたジョーカー。
あれは誰だったのか、表紙でにこやかに笑うヒース・レジャーからは想像できない。
この本では、彼の人生、彼の出演作について中立の立場で触れている。読み進むにつれ、観てみたくなる作品に出会うかもしれない。
写真集としてだけではなく、映画制作の舞台裏にも触れた映画好きにはお勧めの一冊。
ヒース・レジャーの恋のからさわぎ [DVD]
思いっきりB級映画ですが、コレは名作でしょう!
ダークナイトでのジョーカー役とはまったく別のヒース・レジャーを見る事が出来ます
アノ階段のところで熱唱するヒース・レジャー…
惚れてまうやろ〜 p(>o<)q
ヒース・レジャーファンの方は必見です
ブロークバック・マウンテン (集英社文庫(海外))
映画館を出た後、1週間ほどこの映画のことが頭から離れませんでした。その後原作も読みましたが、あれだけの薄っぺらい本の中で淡々と事実をただ語っているだけのような語り口でここまで人の心に取り付いて離れないアニー・プルーの小説に、言葉で表現できないそれこそ「心を持って行かれた」ような状態に陥ってしまいました。一体何なのでしょうか。この物語が読む人、観る人をここまで引き付けて話さない力というものは。。。
人は皆誰もが心に「もし帰れるならあの時に...あの場所に...」と思う時間や場所を持っていると思います。この物語の主人公であるEnnisとJackにとってそれが二人が最初の夏を過ごしたブロークバックマウンテンであり、その場所でのその時の思い出は彼らのその後の決して幸せとは言えない人生の中の決して忘れることの出来ないかけがえのないものとなります。その後20年間彼らはその思いを貫くことになりますが、貫くと言うよりむしろ出来れば断ち切ってしまいたいのにそうすることが出来たら本当に楽になれるのに、それが出来ない。そしてそのまま彼らの思いは続いていきます。お互いに自分が本当に愛している人間が誰であるのか分かっていながら、二人で生きることを決意することが許されない社会の中で仮面をかぶって生き続けていくこと人生がどれほど辛いものか...Jackの方はそれでもEnnisと共に生きていくことを選ぼうとしますが、Ennisにはどうしてもその勇気を持つことが出来ません。そんなEnnisをJackは最後に「一度だけ言う」と言って責めるのですが、目の前で涙を見せながらJackの存在があるから今の自分はこんな腑抜けのようになってしまっているのだ、と訴えるEnnisをJackは抱き締めます。結局どうするこもできないことが彼らにはわかっているのです。この場面での原作の文章が私の心に強く打ちました。(私は英語で読みました。)「何も解決せず、始まることも終わることもない」まま彼らはそれぞれの人生へと帰っていきます。そしてその後に悲劇は起こります。
この映画を観終わった時、そして本を読み終えた時、改めて人は失って初めてその失ってしまったものの大切さを知るのだ、と思いました。そしてどれだけ深く嘆き悲しんでももうそのことを取り戻すことは出来ないのです。そしてそれでもなお人生は続いていきます。どれだけ辛くてもその思いを抱えながら人生は続いていくのです。そう思った時、今の自分が当たり前にとってしまっている自分を取り巻く環境や人を大切にしなければいけない、と思うと同時に、人は生きれば生きるほど、切なさというものを積み重ねていくのではないか、と恐れにも似たような感情が私の中に起こりました。
最後に...でもやはりこれほどまでに人を愛し、愛される機会に巡りあった主人公達を(フィクションだとはわかっていますが)幸せであったのではないか、と思うのです。
ダークナイト (名作映画完全セリフ集スクリーンプレイ・シリーズ)
ダークナイトという映画がこれ以上ないほどに好きでバットマンファンになった私です。
ちょうど英語の勉強をしていて、この本の存在を知ったので、購入しました。
内容は映画内の英語セリフと日本語訳を見開きで両方を載せたスタイル。
非常にわかりやすく、映画を見て、本を見て、どういう場面で使われているのか確認しながら見ると良いと思います。
私としては、英語で読んだだけでもしびれるようなセリフが満載で、映画の魅力、セリフの魅力に再度気づかされた感じです。
オススメですヽ('ー`)ノ
ダークナイト [DVD]
何故、この作品に出てくるジョーカーは魅力的なのか。
それはヒースレジャー氏の名演技もさることながら、そのキャラクター性にあると思いました。
人の中に誰もが持つ、究極的な悪への羨望。彼の出自が不明なのも、「そんなバックボーンは彼には必要ない」からだと思いました。
よくドラマなどである「彼はこんな過去があるからこんな酷い事をするように〜」なんてものはキャラクターをつまらなくするからです。
人は誰も、心に悪意を持っている。ジョーカーも劇中で語っていたように、「人の社会を守るルールなんてものは、無意味」。
人間は誰しも、自分や自分の身近な愛するものを奪われたり脅かされたりした時、理性など簡単に捨ててしまうのだと
彼は言いたいように感じました。
現に、劇中のある人物に訪れる「悲劇」によりその人物は大きな変貌を遂げてしまうのです。
まさにジョーカーは究極の破壊者。この社会を構成する全てのルールを破壊してしまう存在なのでしょう。
しかし、バットマンは様々なジョーカーの罠に翻弄され心を砕かれかけるも、最後にはそれに屈しませんでした。
バットマンとジョーカーは、いわば同族。同じく社会のルールからはみ出したはぐれ者同士と劇中でもジョーカーは語りました。
しかし、決定的に両者に異なるものが1つ。それは、ジョーカーが破壊する者ならばバットマンは「守りし者」という事です。
彼は決して劇中で相手の命を奪うことはしません。目の前に殺したいほどの悪人がいたとしても。
両親を犯罪の犠牲で失った彼ならば、最も忌むべき相手はジョーカーでしょう。
何故彼は、悪人であろうと殺さないのか?それは「殺すことはとても簡単だから」だと思いました。
現実社会に生きる私達も、怒りにさいなまれ殺意を抱くことは人生に1度はあるでしょう。
しかし、何故殺さないのか。それは「それが社会のルールである」というのも当然ですが、「奪われる痛み」を知っているからに
他ならないからではないでしょうか。
バットマン=ブルースは、憎しみに任せて命を奪う「私刑」をよしとしないルールを自分に科しているのです。
怒りに身を任せ、一瞬でも命を奪おうとするならばそれは一線を越えてしまう行為。
つまりは、理性を捨てるということでもあるからです。
バットマンが終盤に、ジョーカーのある罠に対していった言葉「絶対に押さない」はこの人間の、彼の愛するゴッサムの人々の
理性を信じたからなのだと思います。
どんなに揺り動かされようと人々は必ず、最後には踏み止まると信じて。
ジョーカーが「ルールなんて全部上っ面だけだ。全部壊してやる。本能こそ人間の真実だ。」とするならば、バットマンは「人間はそれでも信じれる心がある。理性こそ人間が守るべきルールだ。」という関係性なのでしょう。
バットマンは、最後に暗黒の騎士となりゴッサムの街へ消えていきます。
彼自身が、全ての影を背負い。
そして2012年、今年の夏にこの物語の全ての結末が始まります。
ゴッサムの街には、バットマンがいる。
たとえどんなことがあっても、どんな敵が来ようと彼は必ず立ち向かうでしょう。