雁の寺・越前竹人形 (新潮文庫)
初めて読んだ水上勉の作品で、読み始めてすぐにその古典的なスタイルと情趣あふれる物語に一気に引き込まれた。元々が大衆作家で純文学にしては比較的紋切り型の展開の仕方をしているとも言えるが、著者の誇張のない淡々とした文章は物語により一層の哀切な雰囲気を加えきれいな仕上がりになっている。
二編に共通しているのは、どちらも悲劇的な女性をベースにしいた哀切きわまる物語だということ。女性関係が非常に複雑でメロドラマの様でもある。物語上ちょっとくどいところもあるが、特に傷にもなっていないと思う。
雁の寺は寺の小坊主が複雑な心理から殺人事件を引き起こす過程を描いた物。最初から登場人物が少なく、直木賞受賞という割には話の筋が見え透いているものの、悲劇的な物語が展開していくにつれ魅力が増していき話の中に引き込まれてしまう。越前竹人形にも同じ事が言えるが、(読み切る前に挫折する人も居そうなぐらい)地味な伏線を経てラストシーンでしみじみとした哀切きわまる描写に帰結していくのが読んでいて素直に情に訴えかけられてきて感動した。
特に越前竹人形はお勧め。父が恋慕した女性への憧憬から一心に竹人形を作る男の陰で繰り広げられる女性の悲劇的な過失。苦難を乗り越えた後に罪のない幸せな描写から突然訪れるラストシーンは涙を誘う。
感動的な二編。是非こういった物が好きな方はもちろん嫌いな方にも是非読んでいただきたい。
沢庵 (中公文庫)
水上氏の伝記ものはこの「一休」と「良寛」、そして本作「沢庵」が有名ですが、
私はこの「沢庵」を水上作品の中でも、文学史に残すべき傑作だと思っています。
例えば「一休」の時とは違い、氏の、対象への姿勢・文章に余裕があり、
沢庵に迫ろうとする思いと、落ち着いた趣きが作中に並存しています。
そのため読者に、伝記物にありがちな、変に熱い執拗さも感じさせなければ、
乾燥したつまらなさも感じさせません。
全体を通して、名文として挙げられる箇所が多くあります。
水上氏に使われると、何の変哲もない一つの言葉・一つの表現が、
じわーっと深い意味や雰囲気を持つことがありますが、
この「沢庵」は伝記物でありながら、その水上氏の魔力が多く発揮されています。
現代作家の伝記ものの中でも群を抜いた名品です。
ぜひご一読あれ。
飢餓海峡 (上巻) (新潮文庫)
いつか読もうと買ってはいたけれど、怖く手に取ることが出来ず、本棚に置きっぱなしにしていた。
触れたくない過去がこの本に詰まっていることは知っていた――敗戦の記憶。
絶対に読みたくなかったのに、手に取ってしまった。
ページを広げ即、引き込まれた。もう、読むしかない。
この本は戦争に負けた後、日本人がどんなふうに生きてきたかを伝えている。
だからわたしたちと無関係な登場人物はひとりもいないし、わたしたちと無関係な事件はひとつもない。
乾いた傷口を無理やり抉じ開けられる痛みに苦しみながら、すでに他界した作者に、よくぞこういう小説を書いてくれたと感謝の言葉を送りたくなる。
一休 (中公文庫)
4日間で読み終えました。僧の身でありながら、酒場に頻繁に顔を出したり、女性と関係を持ったりと、その行動には正直あ然としました。けれども、それらの行動がすべて「人間の真の姿を見る」ということにつながって行くこと、あるいは、そのようにして「人間の真の姿を見る」ことなしには、煩悩や迷いを断ち切ることはできなぃという一休の確固とした考えを読むことができました。また、経を読んだり、難しい言葉を講釈したりすることだけが大切じゃないんですね。とにかく書斎から出て「人間」というものをしっかり「見ること」そして、それが煩悩に打ち克つためには一番大切だということをこの本から教わりました。「とにかく動くこと」一休はこのことを宗教者たちに訴えているのではないでしょうか?
土を喰う日々―わが精進十二ヵ月 (新潮文庫)
貧農の家に生まれた水上氏の作品、殊に自叙伝的性格のある小説や、エッセイなどには、
いつもどこかに、物悲しい郷里や僧院生活の記憶が刻まれていて、読んでいて身に詰まされるような気持ちになることが多い。
しかし本作は、文章のトーンも明るく健康的で、
土をいじり、そこから産まれる作物を、あれこれ調理し、頬張る、
ちょっと典型的な水上勉像とは違う彼の姿が垣間見れる作品。
とは言うものの、面白い一辺倒ではなく、百姓の子水上氏の土に対する思い、現代の商品作物や、現代人の食生活に対する眼差しは、時に辛辣で、多くのことを考えされられる作品でもある。
水上文学ファンのみならず、水上作品に暗いイメージばかりを持っている人にも一読してほしい作品。