小川洋子の偏愛短篇箱 (河出文庫)
小川洋子さんが選ぶアンソロジー? どんな作品が出ているのだろう?
そう思って手に取った私は、最初の「私の偏愛短篇箱」を読み、クスッと笑ってしまった。小川さん自身の幼少時代の風変わりな趣向をこっそり告白しているからだ。
内田百けんの「件」が冒頭で、「小川さんらしいなあ」と思いつつ読み進めていくと、谷崎潤一郎の「過酸化マンガン水の夢」や川端康成の「花ある写真」が入っている。普通の作家がもし心温まるストーリーとか文章が完璧という視点で選ぶとしたら、まずこれらを選ばないだろう、と思う。でも小川さんは違うのだ。「アンバランスな小説が好き」と書くように、「偏愛」だからこそ、折り目正しいアンソロジーだったら出てきそうにない作品が並んでいて、それがなかなか面白く読ませる作品なのだ。
奇妙でちょっと歪んだ人々を温かいまなざしで物語性豊かに描く小川作品のワールドが好きなもにとっては、この本はたまらないと思う。
短いけれども、それぞれの作品後に入ってくる小川さんの解説エッセイがまたすばらしい。
一気に読まずに、1篇とその解説エッセイを読んだごとに本を閉じてその余韻に浸るのがおすすめ。
猫を抱いて象と泳ぐ (文春文庫)
バスに暮らす巨漢の師にチェスの手ほどきを受けた少年は、やがてリトル・アリョーヒンとして伝説のチェス・プレイヤーとなる。しかし彼は決してその姿を対戦相手に見せることなく、ロボット“リトル・アリョーヒン”の姿を借りて駒を握った…。
『博士の愛した数式』で数学に秘められた美しさを見事に描いた小川洋子が今回挑んだのはチェスを言語化すること。ここに描かれているのは、円舞し、滑走し、そして跳躍する駒たちの美しい姿です。私はチェスをやりませんが、頁を繰るごとに駒の躍動するさまを確かに眼前に思い描き、心躍る思いに間違いなくとらわれました。
しかしながらそうしたよどみなく舞い踊るチェスの優美な姿と対比して描かれるのは、リトル・アリョーヒンのあまりに痛ましい人生です。ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』か、John Irvingの『A Prayer for Owen Meany』の主人公を想起させるアリョーヒンの姿は、チェスという美しき詩を描くことを宿命づけられた人間のこの上ない残酷なめぐり合わせを表しています。
そしてまた、もうひとりの主要登場人物である少女ミイラが、人間チェスで強いられた試練の、言葉を失うほどの無残な末路。
チェスが内に秘めたその美を体現するために、人間がかようなまでに過酷に生きなければならないのだとしたら、それはどこかに誤謬があると私は感じざるをえないのです。
そう感じながら私は、チェスに打ち込む少年を描いた映画『ボビー・フィッシャーを探して』のことを思い返していました。あれはまさにチェスの美とそれを具象化しようとする人間の拮抗と均衡を描いた見事な映画でした。あの映画の結末に私は救済と希望を感じたのです。芸術と人はかくあるべしと思ったものです。
本書を読み終えた人には、ぜひあの映画もあわせて見て比べてほしいと強く希望します。
博士の愛した数式 (新潮文庫)
確か二年ぐらい前に本屋が選ぶ読んでほしい本、みたいなもので1位になってました。(だから買ったんですが・・・)
読んだ後ものすごい幸せな気分になりました、たまに電車でお年寄りに席を譲ってあげている人を見て少し幸せを感じるような、小さなものを集めて最後にそれが溢れるほどになったような独特の幸福感ですね。
映画化したようですがまだ見てません。
みんなの図書室 (PHP文芸文庫)
「心と響き合う読書案内」の続編で、著者がパーソナリティーをつとめるラジオ番組の08年6月〜09年6月の放送で採り上げられた古今東西の「文学遺産」50冊をまとめた秀逸な読書案内。
古くは竹取物語、近世・近代の名作では若きウェルテルの悩み、人形の家、そして現代日本の現役の作家・重松清、山田詠美、角田光代、江國香織の作品に至るまで、ジャンルも童話、戯曲、エッセー、エンターテイメント小説と多岐にわたり、本当に読むに値する本を、決定的なネタばらしになることを避けつつ、小説家ならではの視点で、キャラクターの性格、作品のトーン、そして文体・文書のリズムが典型的に現れる箇所を引用しながら様々なことに気づかせてくれ、未読の本を読みたくなるのはもちろん、既読の本、特に子供時代に読んだきりの本を再読してみたくなる、素晴らしいガイドブックだ。本の森の豊饒さを改めて実感する。
前作は新書だったが、本書は文庫本で、より手に馴染む感じがする。巻末には番組で流した楽曲リストつきなのは前作と変わりない。
立川談春の赤めだかに散りばめられた故・立川談志の名言が心に沁みる。まずはこの本を読むことにしよう。