愛するということ (幻冬舎文庫)
本当に愛していた人が、ほかの女性に走った後、どうやってその苦しみから立ち直っていくのか。燃え上がる愛の絶頂を描くことの多い小池氏にしては、その後をテーマにしたものは異色といえよう。
だから、野呂との恋愛にいたる過程は案外あっさりしている。物足りなく感じられるかもしれない。しかし、この小説の真髄はその後のマヤの心にあるのだ。愛とか恋とかには興奮しない、という柿村との出会い、愛する妻子を捨ててまで一緒になろうとした女に事故死された拝島との一夜、時とともに次第に野呂のしがらみから解き放たれていくマヤ。
マヤの友人菜穂子がいう「マヤには、恋に生きるためのたっぷりした自由と時間があったじゃない。きっとそれはこれからも、変わらないんだろうと思う。」という事実は、ラストにきて説得力を持った。
黒地にピンクのタイトルと帯、赤の扉、小池氏らしい潔さが感じられる装丁もよいです。
人間の土地 (新潮文庫)
「経験は僕らに教えてくれる、愛するということは、お互いに顔を見あうことではなくて、一緒に同じ方向を見ることだと」。
フランス文学の代表的な名著のひとつ。最初に私が本書を読んだのはもう20年以上前のことだ。しかし、本物は時代を経ても色あせない。飛んで、戦って、愛して、生きたサンテグジュペリの魂が、本書を開くたびにまた新しい勇気をくれる。「救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を繰り返すのだ」。そして、ああ、そうだった、まだ何かできることはあるかな、と思う。
気の利いた言葉をくれる書物は巷に溢れている。しかし、「ぼくは、死を軽んじることを大したことだとは思わない」などと断言する知識人が現代に何人いるだろう。本書と、ヤワな自己啓発本や机上理論だけの哲学書の違いは、実はかなりはっきりしている。
「人間と、そのさまざまな欲求を理解するためには、人間を、そのもつ本質的なものによって知るためには、諸君の本然の明らかな相違を、お互いに対立させあってはいけない」。サンテグジュペリの著作は若いころにいろいろ読んだが、一冊となるとやはりこの本に行き着く。訳は確かにもう古いかもしれない。ただ、だからといって本書の価値が失われているわけではない。
THE LOVE SONG COLLECTION 2006-2007(初回限定盤)
『THE LOVE SONG COLLECTION』のタイトル通り、しっとりとしたスロー〜ミディアム系の美しいラブソング(2・4・7・8・9・10曲目等)が、多数収録されておりますが、一般的なバラード曲とは異なり、スムースな雰囲気の中にもソリッドでノリの良いビートがシッカリと存在しているので、レゲエファンに限らず、R&B〜HIP HOPなど黒人系クラブ音楽のファンの方にも、とても気持ちのいい作品に仕上がっていると感じられます。
アゲアゲなシングル・キラーチューン『シャナナ☆』や『Lotta Love』が収録されていたり、5曲目のソカ〜ダンスホール系のバウンスしたノリの良いトラックもあったりと、シットリ系トラックとの緩急のバランスやキャッチーなメロディーセンスが素晴らしく、再生が終わればまた始めから聞き返したくなる、今冬の傑作ヘビーローテ盤に仕上がっていると個人的には感じます。
夏リリースの『シャナナ☆』があまりに好きだったので、シングル収録のアルバムを待ち望んでいたのですが、あっという間にクリスマスシーズンとなってしまいましたw しかし、南半球のクリスマスは夏真っ盛りですし、熱いトラックを冬に聴いてもテイストとしてそれほど違和感はなく、むしろ寒い時にこそホットな曲が似合ってしまうとも感じております。
これほど胸が締め付けられる繊細なトラックを、レゲエ系のアーティストから多数聴けるとは思いませんでした★
愛するということ
新訳よりも、1959年翻訳のこちらのほうがよい
…たとえばタルムードの中には、もし「ひとつの生命を救うならば、それは全世界を救ったようなものである。またひとつの生命を亡ぼすものは、全世界を亡ぼすようなものである」と表現されている。
偉大なイスラムの詩人にして神秘家であったルーミーによって美しく描かれた。
「愛するものが愛されるものを求めるのは、
まことに、
愛されるものによって求められている時のみである。
手がひとつだけでもうひとつの手がないとしたら、その手は鳴らない。
世界のすべての部分がその対偶をなすものと組むようになることは、
あらかじめ定められた掟なのだ」
この緊張感、言葉の節制ぐあい、そうゆうのがワシのもとめてるもんなんやろなあ
しかしまあ新訳があれだけレビューを集めているということは、あれで充分ということなんやろう。
むしろあっちのほうが良い、とかね。
日本人の国語力は下がってゆく一方だ
国語力って何かしらんけど
自由からの逃走 新版
「人は自由からも逃げ出す…」
このフレーズの衝撃は、今も私に強烈なインパクトを残している。
例えば現在の日本のテレビで、なぜ細木数子の番組があれほどまでに多いのか?、なぜ亀田3兄弟に人気が集まるのか?、なぜディープインパクトの走りに魅せられるのか?これらを考える際にヒントをくれそうな先人からのメッセージを垣間見させてくれる本である。
フロムが考察の題材にしている16世紀ヨーロッパでは、ルターを先導にした宗教改革が強烈な勢いで進めらた。そうして人々の教会離れが加速していく一方で奇妙な動きが見られたことにフロムは着目する。
カルヴァン主義、それは非常に厳密で今までのカトリック以上に厳しい宗教戒律を掲げたジャン・カルバンを首謀者とするキリスト教である。
しかし、その厳しい宗教に人々が魅せられていく一連の歴史にフロムは心理学者的な視点から考察を加えていき、結論してフロムは、人は自由でありすぎると不安になり、何かわかりやすいものに頼りたくなってしまうという心理が働くことを明らかにする。 そして、大恐慌後の不安の中から生まれたヒットラーを代表とするファシズムおよび全体主義の構造を見事に説明した圧巻の一冊。
翻って現在のことを考えてみれば上記であげたような現象は、単に「よく当たる」とか「強い」だけの言葉では語りきることができず、もう一つ「わかりやすい」というキーワードが浮かんでくる。つまりあまりに多様化しすぎた社会の中でなかなか自分の価値観を見出せない人々が「分かりやすさ」を望んでいる一つの兆候ともいえる考察がここから成り立つのであり、これに対してどう自分が対処すべきかを考えるツールになる一冊としておススメである。
それと時間が有る人に是非これと併用して読んでいただきたいのが、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)で、この本は宗教改革から始まった資本主義の成立させる人々の思想体系を考察したもの。 この二つをあわせ読むをお勧めしたいのは、一つ歴史的な事件(宗教改革)というものが、いくつもの切り口をもって語りだせる多面的なものであることを気づかせてくれる、いい資料だと思うからで、一つの事件に一つの感想があてはめられがちな歴史を見直すのにはいい機会を与えてくれるのではないかなぁ…。