フィッシャー=ディースカウが如何に偉大な歌手か。この本は、彼がDG(ドイツ・グラモフォン)に《シューベルト全集》を録音した時に集めた資料をもとに著したものである。彼はただの歌手ではない。それに歌手はただ大声を張り上げればいいというものでもない(特にリート歌手は)。真の歌手は音楽学者であり、哲学者でなければならない。大体人の心を打つ演奏家は歌手であろうと指揮者であろうと哲学者である(フルトヴェングラー然り、ワルター然り)。ディースカウは感覚的な読みやすい文章で、シューベルトの歌曲の特性、その天才性に迫っている。 シューベルトの歌曲をたどって(新装版) 音楽と生涯 関連情報
この歴史的名盤は既に著作権切れとなり,LPからダビングしたり,あるいは既存のCDのコピーに手を加えたようなものまで出回っている。それらの中にはかなり良いものもあるが,あくまでマスターテープによって製作された正規盤を補うものと考えるべきだろう。それほどこの復刻盤の音質は良好で,あえて盤起しの必要など考えられないくらいである。モノラルLPのオリジナル盤(あるいはそれに近い初期のLP)がかなりの数国内に入ってきているようで,しばしばオークションに出品され,そこそこの値段で入手できる(2013年現在)が,それと比べても,盤ノイズが皆無で高音の歪みの少ない正規CDは,快適な鑑賞が楽しめる。高音質が評判となったエソテリックのクレンペラーのSACDと並んで,『大地の歌』鑑賞のためには是非とも手元に置いておきたい盤である。
初演者ワルターによる『大地の歌』は正規録音だけでも本盤以外に,世界初の全曲録音であった1936年のSP録音,1960年マーラー生誕100年記念にゆかりのニューヨーク・フィルと録音したステレオ盤があり,いずれも優れた演奏だが,1936年盤は録音がマーラーのオーケストレーションの精妙さを十全に伝えるレベルまでには達しておらず,1960年盤は最晩年の演奏のためかやや微温的場面が散見される(あくまで比較の話であり,逆にそれが魅力でもあるのだが)ところから,本1952年盤を第一に選ぶのは順当だと思う。
ワルターやクレンペラーの『大地の歌』の魅力は,スコアを忠実に再現しようとするという,当たり前のことに全力を傾けた丁寧な演奏であることだ。例えば彼らの第一楽章を,カラヤンの演奏と比較してみよう。カラヤン盤の明るく朗らかなコロのテノールは魅力的だが,楽章前半で歌の合いの手に何度も出てくる木管群はどのように奏されているか。ワルターとクレンペラーでは諧謔的な響きで囃し立てるような奇妙さが印象的だが,カラヤンはこれを押さえ気味にすることでこの楽章を美しく爽快なオペラアリアのように仕立てている。確かにカラヤンの演奏は耽美的で魅力的だが,ニヒリズムの色濃く出た歌詞にマーラーが作曲したこの楽章の本質に迫った演奏はと言えば,ワルターとクレンペラーだろう。それも特別な細工をしているのではなく,彼らの方がカラヤンより楽譜に忠実なだけなのだ。
諧謔的な奇数楽章を歌うテノールのパツァークは,歌い上げるよりも語りかけるような独特の歌唱が歌詞と作品に非常に合っており,他にこのような歌い方をしている盤がほとんどないだけに価値が高い。フェリアーは細やかで女性的な表現力よりも,存在感ある声の威力が勝った歌唱と個人的には考えているが,その中性的とも言える歌は,バリトンによっても歌われるこの作品の本質に良く迫っていると思う。『大地の歌』には女の歌は無い(第2楽章でさえも)。元々女性の詩人が皆無に近い漢詩をアレンジし,マーラーが自らの想いを託した歌詞なのだから。
さて本盤の余白には「3つのリュッケルト歌曲」から3曲が収められているが,これはオリジナルLP発売時からの組み合わせで,『大地の歌』と同時に収録された。『大地の歌』に通じておられる方ならその3曲の選曲に唸らされるはずである。いずれも『大地の歌』と共通する音形の使用が見られる,関連性の高い作品なのである。(なおカラヤンの『大地の歌』も,LP初発売時は2枚組第4面に「リュッケルトの詩による5つの歌曲」全曲を収めていた。演奏評価はともかく,これは見識の高さとして評価したい。)
マーラー:交響曲「大地の歌」 関連情報
映画版という事で通常のオペラと演出が異なるのは当然でしょう。現代のオペラ上演でも現代に合わせたような大きな演出変更が良くみられます。昔とまったく同じ演技や演奏を繰り返すだけでは仕方がありませんから。それにしてもプライが若い。有名な「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」のアリア最高です。
軟弱ないたずらものの小姓ケルビーノが軍隊に採られることになり、プライ演ずるフィガロが彼の鼻先にいろいろな物をひらひらさせておちょくるお茶目な芝居です。ケルビーノは顔を覆って泣き崩れます。重いものが持てそうにない細腕のケルビーノが戦場に駆り出されたら到底生きて帰れそうにありません。(ケルビーノの役どころの性別は男性ですが、通常メゾソプラノの女声歌手が演じます。細っこいのは当然です)結局行かずにすむんですけど。
フィッシャーディースカウはプライドの高い伯爵様が良く似合っています。発音の歯切れの鋭さがいかにも高貴な身分を表しています。プライとディースカウの役割りを交換することは考えられません。
モーツァルトの時代はローマ教会の権威や貴族への信頼が揺らぎ、間もなくフランス革命が各国にも飛び火する前夜でした。貴族の奔放な振る舞いを茶化したモーツァルトのオペラはオーストリア帝国の首都ヴィーンではなかなか上演できませんでした。モーツァルトを毛嫌いしていた女帝マリア・テレジアが1780年に亡くなり、既に帝位についていたヨーゼフ2世がモーツァルトの理解者で1786年にブルク劇場で初演されました。ヨーゼフ2世は90年2月に亡くなり、後継のレオポルト2世がフィガロ台本作者ダ・ポンテを追放(その後渡米)モーツァルトは12月に亡くなりました。
ハプスブルク帝国は市民革命をおそれ、文献やオペラを検閲しヴィーン市民はヴァルツとイタリア語オペラ漬けになります。ドイツ語オペラは民権思想を拡散する危険があるため大きな制限を受けました。ベートーベンやシューベルトがオペラ作家として活躍する機会はありませんでした。
モーツァルト:歌劇《フィガロの結婚》 [DVD] 関連情報
家にあるCDで一番多いのはディースカウの演奏で、
リートを集中的に聴いていた頃は、彼の演奏ばかりを聴いていました。
今思えば、バレンボイムの伴奏の「冬の旅」あたりから、
声に輝きが少なくなってきて、それ以降に録音されたCDは買わなかったものですが、
このDVDは、彼の40代の演奏が見られて、本当に喜んでいます。
1枚目のオペラは、以前に買ったフィガロからの抜粋が長く、
少しダブって嫌でしたが、その後はどれも初めて見るもので、
バイエルンの「アラベラ」「影のない女」や、ドイツ語版の「外套」も、
どれもとてもワクワクして見られますし、
「リア王」は、CDでも聴いたことがなく、とっても劇的なので感激です。
2枚目はサヴァリッシュの伴奏のリート・リサイタルですが、
これも油ののった時期の演奏で、惚れ惚れする歌です。
どれもスタジオ録画で、その分単調なのは否めませんが、十分楽しめます。
最後の若くて凛々しいディースカウが、これまた若いマゼールの指揮で歌う
マーラーの「亡き子をしのぶ歌」もまた見物です。
私はマーラーには今まで関心がなかったのですが、
こうして初めてDVDを手にして、しかも素晴らしい歌唱で、
なんだかマーラーにも触手が伸びそうです。
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの芸術 [DVD] 関連情報