久しぶりに「アメリカン・グラフィティ」を見返して、その青春の残照感にグッと来たのだが、「アメ・グラ」と同じ74年、日本でも、ある青春の断片を描いた一本の傑作が誕生した。そう、日活ロマンポルノの鬼才神代辰巳の他社初監督作品であり、初の一般映画、そして、同年、これまた日本のTVドラマ史に残る斬新で強烈な青春ドラマの傑作となった「傷だらけの天使」でタッグを組んでいたショーケンを主演に据えた「青春の蹉跌」である。「アメ・グラ」が、ある田舎町のどこにでも居る高校生たちのハイスクール卒業前のひと夏の終わりを瑞々しくスケッチしたのに対し、こちらは、某名門大学の法学部学生のぐだぐだした生き様。両作品とも、観終わった後の痛切さと苦味は相通ずるものがあるが、あたり前だが、青春映画である事以外、背景もテーマもタッチもまるで肌触りが違う。「アメ・グラ」が切なさに彩られながらも、まだしも未来への夢や希望、恋愛の甘酸っぱさを描いていたのに比べ、こちらは、そんな幻想などとっくに醒めているかのような、青春を、そして人生を走り続ける事の空虚さを悟ってしまった者たちの物語だ。大金持ちの令嬢と結婚する為に付き合っていた恋人に手を掛ける、、、。ドライヤーの「アメリカの悲劇」を下敷きにしたような石川達三の小説の映画化作品である今作は、「アメリカの悲劇」の映画化である「陽のあたる場所」と比較される事もあるが、さすがは神代辰巳、そして長谷川和彦(脚色)のコンビである。そんな大時代で陳腐なテーマから脱却、殺し殺される男女のみっともなくも滑稽な青春劇として換骨奪胎してみせた。もちろん、クマさんだけに、ショーケンと桃井かおりのセックス描写の粘着性はさすが、明朗健全路線で売る東宝作品でも軽やかに越境して見せる。恐らく、東宝側からキャスティングを押し付けられた壇ふみなど、端から相手にしてないような桃井かおりへの執着ぶり。かおりも、檀ふみに負けず劣らずの良家の帰国子女なのにね、この脱ぎっぷりはなんなのよ(笑)。70年代前半の世相とキャンパスの風景が切り取られ、アジ演説や内ゲバが描かれているあたり、ゴジの真骨頂。雪山のショーケンと桃井かおりのだらだらとした道行き。相互におんぶし合う、或いは雪山を絡みながら坂を滑り落ちる。一見なんて事のないシーンだが、絶望的までに滑稽で、現実の重さに追いまくられているダメさ加減が切実極まりないと、初見した80年代当時は痛感したものだし、今観ても、ショーケン演じる主人公が呟きながら歌う“♪エンヤ―トット、エンヤ―トットット♪”と共に、その痛みが呼び起こされるような名シーンだと思う。これまた久しぶりに蔵出しVHSにて鑑賞したが、一体いつになったらDVDソフト化されるのか。大手4社の中では、図抜けてDVDソフト化、そして廉価化に対して冷淡な反応を見せている東宝だが、一刻も早く、この傑作が陽の目を見る事を祈念したい。 関連情報
久しぶりに「アメリカン・グラフィティ」を見返して、その青春の残照感にグッと来たのだが、「アメ・グラ」と同じ74年、日本でも、ある青春の断片を描いた一本の傑作が誕生した。そう、日活ロマンポルノの鬼才神代辰巳の他社初監督作品であり、初の一般映画、そして、同年、これまた日本のTVドラマ史に残る斬新で強烈な青春ドラマの傑作となった「傷だらけの天使」でタッグを組んでいたショーケンを主演に据えた「青春の蹉跌」である。「アメ・グラ」が、ある田舎町のどこにでも居る高校生たちのハイスクール卒業前のひと夏の終わりを瑞々しくスケッチしたのに対し、こちらは、某名門大学の法学部学生のぐだぐだした生き様。両作品とも、観終わった後の痛切さと苦味は相通ずるものがあるが、あたり前だが、青春映画である事以外、背景もテーマもタッチもまるで肌触りが違う。「アメ・グラ」が切なさに彩られながらも、まだしも未来への夢や希望、恋愛の甘酸っぱさを描いていたのに比べ、こちらは、そんな幻想などとっくに醒めているかのような、青春を、そして人生を走り続ける事の空虚さを悟ってしまった者たちの物語だ。大金持ちの令嬢と結婚する為に付き合っていた恋人に手を掛ける、、、。ドライヤーの「アメリカの悲劇」を下敷きにしたような石川達三の小説の映画化作品である今作は、「アメリカの悲劇」の映画化である「陽のあたる場所」と比較される事もあるが、さすがは神代辰巳、そして長谷川和彦(脚色)のコンビである。そんな大時代で陳腐なテーマから脱却、殺し殺される男女のみっともなくも滑稽な青春劇として換骨奪胎してみせた。もちろん、クマさんだけに、ショーケンと桃井かおりのセックス描写の粘着性はさすが、明朗健全路線で売る東宝作品でも軽やかに越境して見せる。恐らく、東宝側からキャスティングを押し付けられた壇ふみなど、端から相手にしてないような桃井かおりへの執着ぶり。かおりも、檀ふみに負けず劣らずの良家の帰国子女なのにね、この脱ぎっぷりはなんなのよ(笑)。70年代前半の世相とキャンパスの風景が切り取られ、アジ演説や内ゲバが描かれているあたり、ゴジの真骨頂。雪山のショーケンと桃井かおりのだらだらとした道行き。相互におんぶし合う、或いは雪山を絡みながら坂を滑り落ちる。一見なんて事のないシーンだが、絶望的までに滑稽で、現実の重さに追いまくられているダメさ加減が切実極まりないと、初見した80年代当時は痛感したものだし、今観ても、ショーケン演じる主人公が呟きながら歌う“♪エンヤ―トット、エンヤ―トットット♪”と共に、その痛みが呼び起こされるような名シーンだと思う。これまた久しぶりに蔵出しVHSにて鑑賞したが、一体いつになったらDVDソフト化されるのか。大手4社の中では、図抜けてDVDソフト化、そして廉価化に対して冷淡な反応を見せている東宝だが、一刻も早く、この傑作が陽の目を見る事を祈念したい。 青春の蹉跌 [VHS] 関連情報
作品自体については「長い」「描写が浅い」「引き込まれない」と私は好きになれませんでした。作者の新人の頃の作品だから仕方ないかと割り切りました。本作は第一回芥川賞の受賞作です。太宰治が喉から手が出るほど欲しがったと言われる例の賞です。巻末に選考委員による選評があることは、そんな背景に思いを巡らしつつ、この作品の文学史的な位置付けを考えることにもなるでしょう。また、作者の年表もあり石川達三がどんな人物だったのかよくわかりました。文庫本の巻末はこれほど充実しているのでしょうか。文庫本は廃盤で値段も安くはないですし、いっそ新品で文字も大きいこちらの本をお勧めします。装丁もきれいで愛着がわきます。なお、タツローに同名の曲がありこの本の題名からとったらしいです。 …大きな成功は望むべくもないが、それでもなんとか生きる希望とその意味は見つかるかもしれない。この本と曲とほぼ同じメッセージが伝わって来ました。読みながら曲が頭の中を流れて来ることはなかったのですが、この本が元になってると確信することができました。 蒼氓(そうぼう) (秋田魁新報社) 関連情報
本書は十二烈士の甥に当たる芥川賞作家(1905〜85年)が画一的な戦争報道に反発し、1938年1月5日から8日間の南京での取材と4日間の上海取材の後、2月上旬のうちに書きあげ、「あるがままの戦争の姿を知らせることによって、勝利に傲った銃後の人々に大きな反省を求めようと」、一部伏字で(本書の傍線部)『中央公論』3月号に発表した、南京攻略戦を描いたルポルタージュ文学の傑作である(翌日同誌は「反軍的内容」ゆえに発売禁止となり、作者は起訴され禁固刑を宣告された)。本書の前記には、検閲ゆえに「未だ発表を許されないものが多くある」ため、「実戦の忠実な記録ではな」いと断り書きがあるが、「作中の事件や場所は、みな正確である」と本人が回想しているという(半藤一利解説)。本書は、太沽から寧晋、大連、そして揚子江を遡上して支塘鎮、古里村、常熟、無錫、常州、丹陽、湯水鎮を経て南京に進軍した高島本部隊に焦点を当て、彼等による食糧の現地徴発=掠奪や、民間人への暴行・虐殺を表向き「正当な理由を書きくわえ」て叙述すると共に、兵士たちの戦場生活における「人間として」の心の葛藤を細やかに描く。たとえば、筆まめな倉田少尉は真剣な苦悶の末、「敵の命を軽視することからいつの間にか自分の命をも軽視するに至」り、堂々たる軍人となってゆく。笠原伍長は戦友への愛情のほかは、淡々と自分の業務をこなしたが、それは乱暴と紙一重であった。他方、医学士の近藤一等兵は安易に悪く戦場馴れした結果、怠惰な兵となる一方、発作的に残虐行為に走る傾向を持った。平尾一等兵もそのロマンティシズムの崩壊に際しての狂暴な悲鳴として、やや自棄的・嗜虐的な勇敢さと大言壮語癖を身に付けた。このように本書は、「普通の人間」が戦場において残虐行為に走ってしまう心理状態について、的確に描写をしており、その意味で一読に値する本である。 生きている兵隊 (中公文庫) 関連情報
「真相は薮の中」。そんな映画です。森繁は偽装心中の嫌疑で起訴された雑誌編集長を演じています。法廷での関係者の証言による回想場面で森繁は、ひとりの人物を様々に演じ分けていて、この映画を観た後にずっしりと残る“凄み”は、森繁の“技量”と、心中相手の役の左幸子の“狂気”に因るところが大きいように思われます。この時期森繁は、アチャラカものも含め、多くの映画に出ており、DVDになってるものも多くありますが、森繁の“凄み”を体感したい方、この作品はオススメ。 神阪四郎の犯罪 [DVD] 関連情報