リパッティは文字通り夭逝した天才ピアニストである。その人生は33歳で幕を閉じたが、彼の遺した芸術は未だに愛されている。ショパン、モーツァルト、バッハなどなど。どれを聞いても天才の名をほしいがままにしていたリパッティの演奏である。みずみずしい響きで珠を転がすような自然な運指法。そして、それぞれの曲の真髄に迫る深遠な解釈。やはり天才だ。ノイズがどうとか録音がどうとかいう問題、次元をはるかに超越している。いつまでもそばに置きたいCDである。 ディヌ・リパッティの芸術 関連情報
ブザンソン音楽祭における最後のリサイタル(クラシック・マスターズ)
先日Opus蔵の復刻を購入し改めてリパッティのブザンソンに酔いしれていた所、エラートレーベルで装い新たになった旧EMI2011年リマスターである当盤のアマゾン曲目リストに「アナウンス」とと書かれていて、え、アナウンスアナウンス、ラジオ放送のか当日ホールで流れたものか、とにかく今までのLP→CDでは聞き覚えのない音源のようで、ついこちらも購入してしまった次第。聴いて驚きました。まず音質が極めて良い。昔の音源のモコモコ、Opus蔵のポクポクとは違う、本当に性能の良いピアノを間近で聴くような解像度の良さ!(ただしラジオ放送でよく聞かれるブイーンというノイズは殆どリダクションされていない、雑音があると気が散る方にはオススメしません。)そして今までの復刻では矢尽き刃折れた痛々しい演奏と感じられたこの録音に、拡大鏡で見るようにものすごく多様なニュアンスが込められていたことがよくわかりました。Opus蔵の復刻がふわりと花から花へ舞う蝶々のようなのに対し、この復刻は迸る泉の冷たい奔流に直接手を触れるような新鮮さです。体調が悪くて速いテンポだったのではなく、ピアノと会場のアコースティックな特性で選ばれていた速度だと感じました。あと驚いたのは、アナウンス(ラジオ放送のものらしい、買ってみてわかったがフランス語?で何言っているか殆どわかんない)のみならず、今までの復刻になかった、パルティータ後及びワルツ1番後の、聴衆の長い長い拍手が1分以上収められていることです。本当に手がちぎれんばかりの熱烈な拍手を送っている人がいます。ワルツ1番後は、繰り返し拍手が盛り上がりブラボーの声が聞かれます。多分疲れ果てたリパッティは繰り返しステージに顔を出したのではないか。第2番を弾き始めたが途中で引っ込んだらしい、最期の「主よ」を弾く前に長く重い沈黙があったらしい、といういろんな痛々しい伝説とはちょっと違う情景だったように推測します。リパッティはこの最期の演奏で、聴く人が本当にハッピーになってくれることを願っていて、実際そうであったことが伺えます。そしてこのリマスターを聴く我々もその喜びを共有したいものです。 ブザンソン音楽祭における最後のリサイタル(クラシック・マスターズ) 関連情報
20世紀の巨匠といわれる人たちは大勢いますが、その中に入れておかしくないと思います。「書道」でいえば、正統派の楷書体で勝負!って感じでしょうか。録音は古いですが、それを上回る価値があります。ウィキでほめちぎっていますが、確かに絶品でしょう。とってもお買い得価格です。 Icon: Dinu Lipatti 関連情報
高校生の頃ある音楽雑誌にあった天才ピアニストの名前リパッティ、名前があっただけなのですが、妙に記憶に焼き付いたまま何十年が過ぎ、それから復刻盤のCDも偶然入手し、最後のコンサートのアンコールに弾かれた伝説の曲「主よ人の望みよ喜びよ」のことだけは知っていたのですが、ようやくその人の淡い人生について知ることができました。欧州では今でもある程度年配の人ならば知っているリパッティについてはいつか知りたいものでした。パリ音楽院で学び、わずか27歳でジュネーブ音楽院の教授に招聘、第二次世界大戦前夜、戦中でもあり、さほど華やかに演奏活動を行ったようにも思えないのですが、なぜこれほどまでに彼の名前は語り継がれるのでしょう。リパッティがパリ音楽院で師事し、亡くなるまで親交のあった教授ブーランジェには1930年代にパリ留学した複数の日本の作曲家も師事しているのですが、平行してこの教授のことにも触れていたのは一石二鳥。リパッティの作曲家としての功績や何度も登場する作曲家エネスクについては次作を期待しています。芸術関係の書物は、小国としての言葉の制約もありどうしても米英仏独等なじみのある言葉の大国出身者の情報しか伝わらないのですが、そうした意味でも素晴らしい書物です。 ディヌ・リパッティ 伝説のピアニスト夭逝の生涯と音楽 関連情報