MUSIC MAGAZINE (ミュージックマガジン) 2010年 04月号 [雑誌]
とりあえず、『ミュージック・マガジン』が坂本真綾を取り上げるとしたらこんな感じでしょう、と。
詳細なディスコグラフィーが嬉しい。なんやかや言って、『Rockin'On Japan』や『Snoozer』で彼女の特集が組まれることはない訳だからw(と言いつつ、『エヴァ・破』以降やたらと『H』と『Cut』で本人さんのインタヴューが組まれてるのも当然気にはなってるのだが)。
自分的に気になったことを。まず、オリジナル・アルバム/シングル以外のマテリアルも詳細に取り上げてくれてるのが嬉しい。自分は結局、これの後で"『夜明けの風ききながら』by桂木萌(坂本真綾)"をちゃっかり購入してしまったものだからして(本人さんは「キャラソンは歌わない」と言ってたらしいが…これが唯一の例外か?この盤がビクターではなくPony Canyonからリリースされてることを踏まえると、このやり方なら『Q+完結編』絡みでも何か…とか←妄想)。
あと、『さいごの果実/ミツバチと科学者』って両A面だったの?、と。これはオフィシャルサイトでも『0331』でもそう記載されていたけど、実際の商品はあくまでも『さいごの果実』のタイトルが表に出てるものだからして(『風待ちジェット/スピカ』はそうではない)。個人的に"ミツバチと科学者"が大好きなもんだからして。
最後に。この号にシガー・ロスのボーカルのヨンシーとアントニーという現代における「性的アイデンティティの揺らぎと深く結びついた表現」を象徴するアーティストが、彼女と共に載っているのは単なる偶然だろうか、と。それとも関係するのだが、彼女と管野よう子センセイとのコラボって「オリジナルアルバム4枚+コンピレーション2枚&10枚以上のシングル」、「(基本)本人さんが歌詞&ボーカルで管野センセイが作曲&プロデュース」という点ですごくThe Smiths時代のモリッシーとジョニー・マーのコラボに似てるなあ、と。そりゃスミスの場合『イージーリスニング』みたいなミニアルバムは出さなかったし、「解散」後に『トライアングラー』みたいな形での「邂逅」が一切ないというのが大きな違いだけど。 「性的アイデンティティの揺らぎ」と「他者とつながりたい、でもそれができない苦しさ」を表現の核としてるという共通点、あと『マジックナンバー』の1番のBメロの歌詞が、まんま"How Soon Is Now?"と被ってる、というのも。あと、マーもモリもルーツはアイリッシュで…いや、これは止めとこう。
聴き始めてからずっと「坂本真綾=女モリッシー」みたいな印象が自分の頭から離れなくって。勝手な思い込みかも知れない。でも案外そういうのが本質をとらえてたりする事も割とよくある。
牧野貴作品集Vol.1 With ジム・オルーク 2枚組 [DVD]
これまでに、東京都写真美術館で二回ほど作品をみるチャンスがあった。
最初は、2008年、地下で開催されていた『映像をめぐる冒険vol.1 イマジネーション 視覚と知覚を超える旅』という展覧会。薄暗い展示室の一番奥、ひと際暗いスペースのなかで、視覚化されたノイズとでも呼べるような映像が空間全体を覆い尽くしているという印象を受けた。
二回目は、2011年2月に開催されていた、『恵比寿映像祭 デイドリーム ビリーバー!!』という10日間だけのイベント。
つぎは展示ではなく、上映のプログラムとして公開されていた。
最初が美術作品として出会ったものだったので、正直にいえば映画鑑賞のスタイルでみるのは見ている最中から少し不満だった。
というのは、座るという静止状態で作品を見ると、作品から受ける刺激が視覚にだけ限定されてしまうようで、視覚からイメージがからだ全体に行き渡っていくような、イメージがからだ全体を浸食してゆくような感覚が、ギャラリースペースで立ったり、動いたりしながらからだ全体で受け止めて見るときと比べて、削がれてしまっていたからなのかもしれない。
と、つまりは、これはDVDに収められた若手作家の映像作品なのだが、美術館の広いスペースで展開できるほどに強度のある構成力とイメージの力を持っている。実際にモニターで見てもいいが、もしプロジェクターをもっているなら、自宅の壁に投影し、かつ暗闇のなかでみると、その素晴らしさをさらに感じとれる映像だといいたい。
あと、すべての作品に使われているジム・オルークの音が、作品の世界観と深く絡まり合っているのも、とてもよい。
ユリイカ(紙ジャケット仕様)
僕はわりとゴチャゴチャと色んなもん聴くが、
この一枚は今もずっと上位にいる。
多分これから年とってもずっと。
とにかく何もかもが素晴らしすぎる。
音も配置も。
1曲目のギターが流れ出した瞬間、何度聴いても顔がほころんでしまう。
そしてタイトル曲の「ユリイカ」。
この曲は、聴くたびに、
僕という人間の底に澱のように溜まった、
忘れるべきではない何かを、
そっと掻き回し、思い出させる。
僕にとって、とても重要な、大切な何かだ。
聴いて損はない。一度聴いてみてください。
Eureka
1999年作、本当の意味でのポストロックを代表する重要作。このジャケね、正直手に取りにくいとは思います。サブカル大好きの人ならともかく、普通に音楽聴く人からは敬遠されるでしょう。特に女の方には。もしジム・オルークを知らないで、このジャケを見たとしたら、僕は多分、いわゆるパンクとかハードコアだろうと想像したでしょう。いわゆるとわざわざ書いたのは、この盤で鳴らされる音楽もある意味、パンクだったからなんですが、とにかくそういう複雑な意図を持って、このジャケットを採用しているのは間違いありません。
ここで鳴らされる音楽は確かに美しいです。これが本当に激しいディストーションを使用した音響実験を繰り返していたジム・オルークの作品かというくらい美しいです。もちろん、彼がこれ以前にやっていたガスター・デル・ソルのラストアルバムにはこれに近い感触はあったわけですが、それにしてもここまで歌モノでまとめられているのはやはり驚きでした。大体、音響をやる人というのは、そもそもメロディをそんなに書かないというイメージを持っていたのですが、その考えはこれで大きく覆されました。最も実験的なことを続け最もメロディから乖離していた人物が、いわゆるポストロック勢の中でも、最もメロディアスで美しいアルバムを作ってしまっているというパンク精神。それがおそらくこのジャケにも顕れているのではないかと推測します。
図鑑
くるりが満を持して放った2ndアルバム。シングルの曲しか聴いたことのない人が聴くとびっくりする位、岸田の深い苛立ちが、ソリッドなサウンドと共にリスナーの耳に襲ってくる。 インストゥルメンタルの曲や、スーパーカーのナカコーのミックス等、くるりがやりたいことを全て吐き出し、かつ、整合性のあるアルバムに仕上がってるのは見事。
シカゴ音響派といわれるジム・オルークのプロデュースも、くるりの世界観の構築に一役買っている。