砂の上の植物群 (新潮文庫)
《ひどい目にあわせてほしいの。あたしの知っている人に、ひどい目にあわせてもらいたいの。そのことをあたしに教えて》
主人公の化粧品セールスマン・伊木一郎は、ある日の夕暮れ時、津上明子という少女に出会う。セーラー服と、不似合いな濃い口紅に魅せられた一郎は、明子から奇妙な依頼を受ける。それは、明子の姉・京子を誘惑してほしいというものだった……。
中年への変貌や、亡き父親の呪縛から逃れるように、一郎は京子の肉体に溺れてゆく。退廃の果てに歓びはあるのか。性の充実は生の充実か。そうしたなまなましいテーマを、知的で緻密な文体で描いている。 繰り返し用いられる「夕暮」のモチーフが、性的な興奮、生命力の充実をあらわしつつ、時に絶望や破滅の予兆としても作用する。その融通無碍さが見所の一つである。
物語のなかで繰り広げられるSM趣味なセックスには、もはやショッキングな点はない。しかし、女性の身体を立体的に描きとる吉行の文章は、やはり今でも一読の価値がある。丹念に色を重ね重ねて、新しい色彩を見いだすような、そんな美しい文章を味わってほしい。
娼婦の部屋・不意の出来事 (新潮文庫)
「鳥獣虫魚」という短編を読んで、何か胸が熱くなりました。渇いた心境の主人公と、似顔絵描きの女性との出会い。吉行さんの小説は無機的なイメージを抱いていたのですが、「鳥獣虫魚」では渇いた都会で心を通い合わせて行く男女の姿が、とても愛しく感じられる筆致で描かれていて、とても好きな小説です。男娼との哀しいやり取りを描いた「寝台の舟」も、沈滞した中に豊饒なイメージが広がっていて、印象深いです。
原色の街・驟雨 (新潮文庫)
とても昭和20年代に書かれたとは思えない時代を感じ
させない文章にまず驚いた。
娼婦との揺らぐ人間関係を描いた「驟雨」をおもしろく
読んだ。
身につまされる思いがする。娼婦だったときには心を探
ることなく、他愛のない会話を繰り返すのだけれども、
相手への思いが次第に募り、一人の娼婦が「固有名詞」を
持つにいたる。
増していく探りを入れるような会話、相手を思う心。
それにつれて、生じてくる嫉妬心とそれに抗う自我。
主人公の繊細な心の動き、映像が目の前に浮かんでくるよ
うな風景描写に心を打たれる。
若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)
作家が創作者の視点から作家を読み解く講義形式の本。題材は、吉行淳之介、小島信夫、安岡章太郎、庄野潤三、丸谷才一、長谷川四郎と、いわゆる「第三の新人」と呼ばれる作家群の短編小説六編。どうして、「第三の新人」が選ばれたかということは、前書きに書いてある。自我(エゴ)と自己(セルフ)の関係を探るというのが、著者が一貫して採用した視点。語り口は優しく明快で、それでいて、視点は分析的で鋭い。文学の知識をそれほど知らなくても、スラスラ理解できるのがとても嬉しい。あとがきには、テキストとしての小説を読んで行く上での春樹流三つのアドヴァイスも載っている。春樹ファンのみならず、創作に関心ある人全ての必読書であろう。
女ぎらい――ニッポンのミソジニー
「どうして結婚しないの?」と聞かれるが
これまで恋愛したり、結婚を考えた男性が、全員ミソジニーだったから。
結婚は、自己卑下して、男性に従属する生活。
自己尊厳や意思や自由を奪われて、その苦痛に甘んじる生活なのではないか?
だとしたら、そんな生活、自分には無理。
恐ろしくて、結婚しなかったのだ。
「理想が高いから、結婚できないのでは?」と言われたら
→「私って、白馬にのった王子様を待っているのかな?」と思い、
「結婚は妥協が肝心だよ」と言われたら
→「妥協って、自己卑下を妥協して受け入れるってこと?そんなことは、できないよ!」と思い、
「誰と結婚しても同じだよ」と言われたら
→「誰と結婚しても従属しなきゃならないのなら、結婚しない方がまし」と思っていた。
自分の恋愛観、結婚観が、世間とは異なる感じがしていたのは、
「ミソジニー、断固としてお断り!」と、ずっと思っていたからなのだ。
そうは言っても「結婚は女の幸せ」という言葉を、手放すにはいまだ至らず
戸籍上の婚姻はさておき、特定の一人の異性が
身近な存在、人生の相棒となることを望んでいる。
私と気の合うミソジニーではない男性が、この世に存在していますように!
(これって、王子願望? 王子は幻想であって、実在しないものなのか?・・・・・・・・・・・)