新釈 走れメロス 他四篇 (祥伝社文庫 も 10-1)
標題のとおり、著者による近代文学の名作リミックス5編です。
行方不明となった文学狂いの青年と、かつての麻雀仲間との再会を描く「山月記」に始まり、登場人物がそれぞれの作品にかかわる様子は、藤沢周平の「本所しぐれ町物語」に通じるようにも感じます。原作と同じ表現を微妙にからませながら、おバカ方向まっしぐらの暴走だったり、切なさ倍増だったり(どちらの路線でも、心理描写がリアルでうならされます)…文学好きのツボを心得たコンビネーション攻撃を心から楽しめます。それぞれの作品と、原作が持つ緊張感が見事にシンクロしているところは「まいりました!」というほかありません。こういった連作集では「これが好きで、これはちょっと…」という順位ができてしまうものですが、どの作品も甲乙つけがたい面白さです。
舞台となる街の様子も、あたりを知るものにとっては「あそこ、そういうヤツいるよな」「そうそう、あのあたりはね…」とくすくす感を倍増させるスパイスとなっています。
森見作品を手に取るのはこれが初めてですが、「しまった、他の作品をもっと早く手にしていれば!」と悔やませるパワーがあふれています。装丁も小粋で、文句なく☆5つの評価としたいと思います。
大切なこと
美しい曲、深く染み入る詩、そしてハートに響く歌。
初めて聴いた時、感動で心がふるえました。
土屋さんの歌には仰々しさはなく、包容力があって本当にあたたかく心地よいです。
アレンジも無駄がなく、この曲のテーマがより明確になっています。
「大切なことって何だろう」
時にはやさしく、時には励まされたりと、自分の純粋さに触れられる名曲だと思います。
森敦との対話
世間的には無名のインディーズ作家でありながら、小島信夫や三好徹などの「小説の師」として彼らの原稿に手を入れていた無名時代の森敦。倒産仕掛けの印刷会社に勤めながら、全く自らの作品を書こうとしない森を叱咤激励し、校正までも手伝った弟子&養女による「月山」誕生までの秘話。
凄まじく世間からズレまくった森夫妻を支え続けたその姿は、苦行の趣きすら読む者に与える。それにしても、作品もそうだが一人の人間としても、森敦という作家には謎めいた魅力がある。そうした彼の魅力を味わうには、著者が主催する森敦の公式ホームページも助けになるだろう。
未読の方はまず「月山」を読んでいただき、その後にこの本を読むことをオススメします。
月山・鳥海山 (文春文庫 も 2-1)
第70回、昭和48年下期の芥川賞受賞作品です。この作品と第74回の中上健次「岬」をもって、芥川賞はその歴史的使命を終えたのだと僕は思っています。
いや、それ以前にも芥川賞は実は見るべき作品は少ない。第59回の丸谷才一、第38回の開高健、第32回の小島信夫と庄野潤三(歴史に名を刻む回だ)、第31回の吉行淳之介、第28回の松本清張、第25回の安部公房、第6回の日野葦平、と、日本近現代文学史の稜線を、試みに引いてみて、これくらいだろうと独りごちてみる。好みが入っているのは認めるが、「月山」以後の稜線が弱いのは、どうしようもない。
そうして、好みの作家を並べて受賞作を思い浮かべてみても、「月山」は屹立している。それでいてその名のごとく山懐は深く、本然としてその姿を容易にはあらわさない。小島信夫さんの解説もまたすばらしい。
ちなみに、どこかで柄谷行人が森敦の「意味の変容」をほめていた。だからというわけではないが「意味の変容」は確かにすばらしい。けれど、柄谷先生も認めてくれると思うけれど、それを目の前に見せてくれた「月山」は、「意味の変容」よりももっとすばらしい。批評や評論と文学の関係はこうでなくてはならない。
こんな作品は、どうがんばっても、書けない。
月山
かねてから六十里越街道に沿って行ってみたかったのが、この6月の初旬に出羽三山・注蓮寺・大日坊・本山慈恩寺・立石寺と回ることにしました。こんな思いの中、『月山』を読んでみたくなりました。作中とは時代は勿論・時期も違うがイメージは鮮明になりました。
じっくり拝観をしてきたいと思います。