かつてユーゴスラビア代表として活躍し、Jリーグ名古屋で現役を終えたストイコビッチのサッカー半生記。セルビア・モンテネグロサッカー協会の会長を経て、現在は鈴木隆行が在籍しているレッドスター・ベオグラードの会長を務めています。
優れたサッカー選手としてだけではなく、ユーゴ内乱という激動の時代に代表チームの精神的支柱としてもキャプテンシーを発揮する姿が描かれていますが、偏狭なナショナリズムではなく本当に心の底から祖国を愛する姿にその偉大さをつくづく再認識しました。
私達の幸福、彼の悲劇おすすめ度
★★★★☆
ピクシーことストイコビッチが、どれほどスゴいサッカー選手だったか?
私を含め、運良く彼のプレーをリアルタイムで堪能することが出来た者にとって
いまさら説明する必要はないだろう。
サッカーに詳しくない人でも、彼のプレーを一目見れば
「明らかに他と違う」ことは一目瞭然だった。
(もしピクシーのプレーを見たことがないのなら、本よりもDVDがお勧め)
「オシムの言葉」で、一気に注目を浴びたこの作家も、
ピクシーの超人技に驚いたサッカー素人の一人。
ピクシーのプレーから受けた衝撃をきっかけにして、
まだ危険の残る旧ユーゴスラビアへの丹念な取材を行い、
いまでは旧ユーゴサッカーのエキスパートである。
この本は、そんな木村元彦氏の実質的なデビュー作。
「その選手がいかに素晴らしいか」と言うことをこれでもかと訴える点において、
他の同類の本と一緒にされるかもしれない。
しかしながら、あきらかに同種の本には書かれていない感動がある。
その感動のきっかけは、残念ながらあまりにも酷な悲劇の数々だ。
祖国の崩壊、昨日までは友人だった民族間の対立・憎しみ、
理不尽な国際社会からの制裁、度重なる不運な怪我、
偏見から来る審判の不公平なジャッジ etc
しかし彼は負けない。
当初単なる気分転換での短期滞在のつもりでやって来た日本で、
超人的なプレーで我々の度肝を抜き続ける。
すっかり日本に馴染み、「真剣に日本人への帰化を考えた」ほどらしい。
選手としての凄さだけでなく、彼を知る誰もが尊敬することを止まない
人望と行動力の持ち主でもある。
ピクシーのような選手が日本で長期に渡ってプレーしたことは、
我々日本人のとっては、信じられないほどの幸運だと思う。
しかしそのきっかけは、彼にとってはこれ以上ない悲劇だった。
それを教えてくれるこの本から得られるのは、
何とも言えない複雑な「感動」なのである。
ファン必読だが、ちょっと甘いおすすめ度
★★★☆☆
「まともに文章を発表し出して二年足らず」という、
「です・ます」調のあとがきもどこか初々しい、著者のデビュー作。
名古屋でストイコビッチのプレーを目にするまでは、
サッカーに興味がないどころか、「嫌い」だったとまで語る著者だが、
今でこそ世界のサッカーを熱く語っているライターのなかにも、
ほぼ同様の貧弱な「サッカー歴」しか持たない人間は、
実はけっこう多いのではないかという気がするし、
逆に、筋金入りのサッカーファンを自認する書き手であれば、
「いかに自分が昔からW杯等を見ていて詳しいか」を
必死にアピールするはずのところで、
一貫して旧ユーゴスラビアサッカーに軸を据え、
丹念に取材を続ける著者の姿勢は際立っていると思う。
来日早々、ストイコビッチが貼られることとなった、
審判に楯突く「短気」で「粗暴」な選手というレッテルが、
全く実態にそぐわないものであることに気づいたところから、
著者の旧ユーゴサッカー探訪の旅が始まり、
「東欧のブラジル」とも呼ばれた空前絶後のタレント集団が、
国を割る内戦とともに無残にも引き裂かれていくという、
サッカー史上最大とも言える悲劇を描いた『悪者見参』や、
『オシムの言葉』といった成果を生み出していくことになるのだが、
今回、日本代表監督にオシムが任命されたことについても、
著者が果たした役割は決して小さなものではなかったはずで、
それも全てはピクシーのプレーから始まっているのだとすると、
彼が残したインパクトがいかに巨大なものだったかということが、
今さらながらに実感される。
ただし、本書が書かれた時点では、
旧ユーゴサッカーに対する思い入れの強さからか、
ひいきの引き倒しめいた甘さの感じられる表現がやや目につき、
その分だけ興を殺がれたきらいもあるので、
☆3つの評価とさせてもらった。
納得の出来
おすすめ度 ★★★★★
全般的に言うと初心者向けだと思います
。他の方がコメントされているとおり、
ホント満点を付けても良い出来です。