これほど確信犯的に人生と自己を戯画化した若手作家はかつていなかった(そしておそらくこれからも)。俳諧的なみごとな文体と華麗な筋運び、軽妙洒脱な会話体とモノローグ。書くことと生きることとをどのように結び合わせるのか、著者自身の煩悶が主人公に高踏的に反映されていて、しかも構造的に良く練られた夏目漱石クラスの画期的4部作である。本4部作の良さがわからない読者は、残念ながらノーベル賞クラスの一流文学の素晴らしさの恩恵から一生無縁の人間である。三文娯楽小説を抱いて火葬場まで行けばよい。
黄色い女の子のよる魂の救済おすすめ度
★★★★☆
「色」シリーズの第1作。当時は大学紛争の真っ只中で、世間の価値観も揺れていた。主人公薫が通う日比谷高校は当時は東大進学率No.1を誇る名門校。だが、大学紛争のあおりで東大は1年だけ入試を中止し、薫は受験浪人に...。作中の薫と、本作を読んだ時の私はほぼ同時代・同年齢。安田講堂陥落の場面は同時進行でTVで観た。大学入学後、実際に紛争を味わった経験もある。この時代背景を知らないと、作中の冒頭の薫の(表面的な)明るい振舞いの異様性が理解できない。
本作を読む前に作者の「喪失」を読んでいた。硬質な文体と作者の頭の良さを誇示するかのような全体構成。それに比べ本作の軟弱さ加減は何だぁ、というのが最初の印象。小説家志望の薫の友人が女にフラれ、薫に「俺がこれまで書いた小説の中で、俺が何人の女にフラれたか分かるか」と尋ねると正確に答える薫。"冷静沈着"を絵に描いたような男、周囲にはそう見られているのだ。しかし、実際には薫も世間の状況の中、心の淵に落ち込もうとしていたのだ。
そんな中、ふと立ち寄った本屋で「赤頭巾ちゃん」を探している黄色いカッパを着た女の子に出会う。バリエーションが多い絵本の中で、薫は女の子のために適切な「赤頭巾ちゃん」を選んであげるのだ。この黄色い女の子と触れ合いで薫は人間性を取り戻す。大げさに言うと、ラスコーリニコフにも似た"魂の救済"を得るのだ。
ユーモア仕立ての文体は1種の韜晦であり、構成の巧みさは相変わらずだった事が分かる。中村紘子さんとの結婚後はすっかり髪結いの亭主になってしまったが、その後如何に文学界を眺めていたのだろうか。
多分今の若者には分からないおすすめ度
★★★★★
この本ほど「時代を背負い込んだ」ものはないと思っている。本質的なものはいつの世でも変わらないと思うけれども、この本は極めて特殊なシチュエーションで出てきたから。1969年東大入試がなかった時にぴったりと芥川賞をとり、学生運動のいい加減さが浮き彫りになり、「男は優しくないといけないんだ」と思い出していた当時に生きていないと分からんです。かく言う私は当時大学1年、その年代のバイブル的な本。映画にもなりました。映画のヒロインは「森和代」といいます。忘れがたい人物(装苑という雑誌のモデルさんでした)、彗星のように出てきてあっという間に消えて行きました。またこの作家も同様にあっという間に消えていきました。このような生き方の女優さんと作家も粋な生き方だと思っています。サリンジャーの真似といわれたので、サリンジャーも読みました。全然ピンときませんでした。こちらのほうが数段面白かった。
大変良く出来ています。
おすすめ度 ★★★★★
背筋にゾゾゾという感覚が走りました
。従来の伝統を引き継ぎつつ、バランスがうまくとれてます。
買って良かったと思います。