結論は「読みとばす!」であった。ひとつの禅問答ごとに立ち止まって、理屈をこねくり回して考えていると、問答に秘められた「直截な一瞥」をとり逃がしてしまうと思うのである。
本書は、鋭い刃の切れ味の問答・公案の宝庫だ。これは「模範解答」などでは断じて、無い。文面にあらわれた切り返しのシュールさがポイントというよりむしろ、その切り返しをさせる大本である、その人の心の状態が問われているのだ。
誰か無門と勝負するものはおらぬか?おすすめ度
★★★★★
なぜか今仏教がブームになっているようで、amazonで検索してみてもたびたびベスト100のリストの中に仏教関係の書籍が入ってくる。少し前まで「抹香くさい」などと言われ仏道など時代遅れとみなされていたものだが世の中変われば変わるものである。
但し、そのブームの中において、なぜか世に知識人と呼ばれる々でもこの無門関だけは全くだれも手をつけていない。いかに彼らが頭の中のみで仏道を論じ、人生の課題としていないかよくわかる。
この無門関、レビューにあるように問いかけは非常に簡単である。それだけに生半可な知識などでは歯が立たず、うっかり答えようものなら物笑いの種になるだけである。それだけに彼らが遠巻きにして全く近づかないのもよくわかる。だれぞ無門和尚と問答をしてみる奇特な知識人はおられぬものだろうか?
無!おすすめ度
★★★★★
「犬に仏性はありますか?」趙州禅師の答えは「無!」。この有名な禅問答で始まる『無門関』は多数の解説本が出されている。さて、本書は文庫であり、内容はオリジナル(漢文/中国語)、書き下し文、現代語訳からなり、オリジナルテキストのみ。問答に対する詳しい解説は一切なし。無門禅師は決して多くは語らない。むしろ我々読者をからかって楽しんでいる。仏門に入って本格的に修行をつまれた方ならいざ知らず、私のような一般人に理解できるや否や?と読みはじめたら、これが意外に面白く、理解するしないは置いて、一気に読めてしまう。我々は「解ったような解らないような会話」の事を「禅問答」と呼ぶ。しかし、それにも意味が有る事を知っている。解らないなりに疑問を持って答えを探しつつ日々暮らすのも悪くない。
私はアメリカに住んでいて、多くのアメリカ人の禅仏教徒と一緒に座禅をくんでいるが、彼等も全く同じ禅問答で日々頭を悩ませている。(もちろん英語で。)インドで生まれた仏教が、中国、日本、そしてアメリカ、ヨーロッパと世界中に広がり、時を越えて我々人類の頭を日々悩ませている。答えは存在するらしいのだが、それは言葉では語れないものらしい。さて。また読むとするか。