千年の愉楽 (河出文庫―BUNGEI Collection)
非常に不思議な空間の中で語られる物語である。
語り部であるオリュウノバは、平家を裏切った中本家の男児が夭折するという運命を目の当たりにしてきた。
彼女は産婆として自ら生を与えた子供の悲しい運命を知りつつつも傍観者である。
不思議な運命に操られながら、自然の超力や人間の性などを感じた小説であった。
枯木灘 (河出文庫 102A)
中上健次の小説を読むのはこれが最初ですが、現在までに3回ぐらい読み直して、今後恐らく再び読み直したいと思う小説の一つであります。
彼の生前を全く知らなかった私は中上氏の没後10年以上も経ってから彼の事を知りました。
インターネット上で検索して拝見することが出来る彼のエピソードや、彼と交流のあった村上龍氏や柄谷行人氏などの
作家や批評家などの対談や回顧録を通じてどんな方だったのかを追っている最中です。
今年の五月にはオートバイで枯木灘を通って新宮市に向かう旅をしました。
にわかファンなので他の作品との対比としてこの作品を批評する事は今現在は不可能です。
この作品で登場する主人公秋幸は恐らく中上健次自身を投影したと思われます。
(間違ってたらごめんなさい)
兄の自殺など、中上氏と類似するエピソードが描かれているだけではなく、紀州の最果ての地新宮、路地と中上が呼んだ被差別部落、複雑な血縁関係なども盛り込まれているからです。
それがどのように、どういう風に描かれているのか?
盛り込まれた事柄のお互いの関係性を可視化するのならば、
それらの関係性を取り結ぶ糸はとても細くて鋭利な刃物のように、少しでも触れれば切れて血が出るほどに
細くて鋭い糸で出来たものが最大限に伸張し、そして切れそうで切れない。そういった危ういバランス上の上に
構築されていると思われます。秋幸が秀雄を殺害する事によってその糸は最大限に伸張し、いったんそこでプツンと切れます。
その地点がこの物語の最高点です。そこを基準点にし、前半、後半、と分ける事が可能だと思います。
前半はそういった関係性の緊張が高まりつつある様子を様々な出来事から描き出し、その到達点に一気に駆け上る形で向かいます。そこにいたるまでにも沸点はいくらかありましたが、実現するという形の到達点は唯一そこだけです。
後半はその沸騰が嘘だったかのように静かに終わっていきます。
龍造の不気味さは秋幸の秀雄殺しによって止めを刺されます。到達点以後、龍造は反省してしまい、
しおらしくなります。そして静かに物語りは一旦終わります。
何が凄いのかというのは未だうまく説明する事は出来ませんが、読めば凄いというのが分かると思います。
分からない人はあきらめずに3回ぐらいは読み直したほうがいいかもしれません。
僕も初めて読んだ時は何が凄いのか分かりませんでした。
噛めば噛むほど味が出る、そういう小説なのでしょうか?
中上健次を読もうと思う方は必読だと思います。
彼の死を境にして、日本近代文学はどうなったのかは私には分かりません。
中上の死はある意味、枯木灘の秋幸の秀雄殺しのような一種の到達点ではないだろうか?
日本文学は現在どうなってるのかはよく分かりませんが、そんなおかしな妄想を抱きながらまた枯木灘を読みたいと思います。
岬 (文春文庫 な 4-1)
中上氏の芥川賞受賞作である「岬」他3篇の短編が収められています。
「岬」は、紀州の小さな田舎町に住む、濃く複雑な血縁関係に縛られた、主人公秋幸の閉塞感をモチーフに展開していきます。秋幸は、愛憎渦巻く親・兄弟・親戚たちのあいだで、一人孤独感と戦いながら、「自己」を確立させようともがきますが・・・。
1946年、戦争直後に産まれた中上氏のリアリティは、農村共同体の、濃密な血縁・人間関係にあります。日本の戦後史は、こうした農村共同体を打ち壊し、核家族化していく歴史だったのではないでしょうか。結果として、90年代以降の現代人にとってのリアリティは、中上氏が描く閉塞感とはまったく逆に、希薄な人間関係の中で、自己の存在の軸を確定できないことに変化したように思われます。「岬」の歴史的意義は大きいと思いますが、ここでの問題意識は、多くの現代人にとって、もはやリアルな課題ではなくなっているのではないでしょうか。故人となった中上氏が、今生きていたとしたら、現在の日本社会をどう捉えるか、興味深いところです。
所収の短編「黄金比の朝」は、自分の感受性だけが頼りの、人生においてもっとも不安定な時期を美しく表現した好篇です。
青春の殺人者 デラックス版 [DVD]
30ン年水谷サンのファンですがこの作品だけなかなか見れるチャンスがありませんでした(子供だったし今と違って家庭用ビデオやレンタル店無くTVで放映されなさそうな作品だったもの‥)今回のDVDでやっと念願が叶いました。大好きな作品になり一人で何回も見てしまいます。40代のオバチャンになって初めて見たのが良かったのかも‥それでも衝撃的でキャベツ見ると恐くなり原田サンの「じゅんちゃ〜ぁん」や市原サンの「痛くしないで」の声が数日頭から離れませんでした。水谷豊&市原悦子にシビレます。破滅的な役の水谷サンはたまりません。『杉下右京』が水谷豊とおっしゃる方‥この水谷豊にかつて魅せられた若者がたくさんいたことも知っててもらえたらなぁ‥と思います。
路地へ中上健次の残したフィルム [DVD]
中上健次にまつわる映像の層の薄さは、如何ともしがたいものがあった。テーマがテーマだけに「差別」とどう向き合うのか、映像を作るものの覚悟が問われる。NHK教育テレビのドキュメンタリーは、一歩、その点で抜きん出たものといえるが、それでも不満が無いわけではない。まして柳町某監督の「火まつり」は論外。
そのような中で青山監督のこのフィルムが出た。カメラは田村正毅。やや霞んだ、夏の日の紀州の映像。勿論「夏ふよう」もそこにはある・・・・
本フィルムのメインはあくまで中上による「路地」の映像である。そして中上作品の朗読。新宮への道行き。構造はあくまでシンプルだが、「路地」の映像を邪魔しないものになっている。