キャッチャー・イン・ザ・ライ
キャッチャー・イン・ザ・ライは高1の頃に読んだのが最初で、当時何か特別胸を打たれたとかそんな事はなかったけれど、それ以来ずっと愛読書のうちの一冊になってます。
時節を超えて読むたびにコールドフィードとの距離は近づき、彼から吐き出される心の叫びが、よりリアルな感覚となって自分に訴えてきました。
人それぞれ歳に関係なく、日々何を感じて、見て、吸収してきたかによって、コールドフィードはより繊細なガラス細工となって時にもろくも鋭い凶器になったりしながら、きらきらと、どんなにか細い光をも捕らえ二とない色を反射し、私たちを惹き付け続けることだと思います。
あとこれは個人的な意見ですが、私は野崎氏、村上(春樹)氏の訳どちらでも読んだのですが、野崎氏の訳のほうが的確にコールドフィードのキャラクターを表せているんではないかと思いました。村上氏のコールドフィードは、どこかぎこちなさが残っているように感じます。
野崎氏の訳のほうが、主人公のしゃべり方のくずし加減がちょうどいいんではないでしょうか。
当たり前ですが、洋書は訳によってかなり内容もかわって見えますし、読む側に与える印象も違ってくるので、慎重に翻訳物は選んだほうがいいと思い、触れておきました。
放熱への証
尾崎豊の最後の名作「放熱の証」で尾崎ファン及び音楽ファンに解き放った永遠という命題の問いかけは、その解法と答えを導き出せずにいる日本の音楽シーンの現在である、このアルバムは内容的にも上質で、尾崎の壮絶な最後が結果的にセールスプロモーションを更に促進しミリオンヒットとなった、しかし、歴史に‘もしも=IF’はないが、尾崎が生き続けていたならば、永遠の命題の解法をアルバムを作ることで私達に提示しただろう、しかし、その命題を解法する時代のシンガーソングライターが現れた、それが中村隆道である、陰陽五行説によって尾崎豊を陰とするならば、中村隆道は陽である、尾崎の最後以降、尾崎を求心していたファンの音魂が彷徨っているならば、是非とも中村隆道を聴いて欲しい、きっと彼の歌声に尾崎の優しさを投影するだろう、その時が尾崎豊と中村隆道の稀有な才能が融合した瞬間を君が感じた時である
ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)
十代から五十代の現在まで、10年に一度くらい読み返してます。
読む年齢によって、読後感がすごく変わります。
昔は、ホールデンに全面的に共感したりもしたけど、今の年齢で読むと、これだけ感受性のかたまりのようだと生きるのはつらかろうなあ・・・と、ホールデンに対してなんだかせつない気持ちを覚える。そりゃ世の中イヤな奴と頭の悪いボンクラばっかだけど、でも人間ってさ、みんなが君みたいに優秀なわけじゃないんだよホールデン君。そういう感想になっちゃう。
僕もオヤジになったってことか。
作者サリンジャーが、これを書いたあと60年も生きたっていうのがなんだかすごい。
幻想世界11ヵ国語ネーミング辞典
比較的身近な語彙から、ファンタジーに至るまでの各種単語が11カ国の言葉で一目瞭然と言う、ありそうでなかった一冊。
作品創作にもよし、自分の名前を外国語で何というか調べるもよし、必殺技を考えてニヤニヤするもよし、印欧諸語の広がりを味わうもよし、何かと飽きることもなく、多種多様な趣味と好奇心をこの値段で満たせるのだから、おおいにコストパフォーマンスはよろしいだろう。