金太の大冒険
ラジカルにして滑稽、度肝を抜く言葉遊びの極地。永遠のコミックソングの最高峰といわれながら、この曲の辿った道は、悲しみと苦汁に満ちていた。発売後20日で放送禁止、そして発売会社のエレックレコードは倒産。次に出したユピテルレコードも倒産。
平成に入り「HIME」という女の子のグループがこれをカバーするが、この曲を最後に彼女らは解散してしまう。
しかし、平成8年に至り、天下の東芝EMIから再々発されることは、東芝EMIのモノを見る目の確かさと、うちはつぶれないという自信、またこの曲の持つ力強さの証明だ。子孫繁栄、世界平和の願いを込められたこの曲は、確実に人々に歌い継がれ(SMAPの香取慎吾、天海祐希なども気に入りの曲だという情報も入っている)、21世紀に至り最大の評価を受けることになるだろう。この曲の評価が世の中の成熟度をはかる物差しとなる。
つボイ正伝 「金太の大冒険」の大冒険
第1章・幼少期〜大学まで(13ページ)
第2章・大学で音楽活動を初めた頃〜名古屋でラジオ活動及び舌下降板事件(チェリッシュの回想録付 32ページ)
第3章・ヤングスタジオ1430、土曜天国等のラジオ及びアルバム“ジョーズヘタ”発売の活動、そしてエレックレコード倒産まで(元CBC佐野ディレクター回想録付 37ページ)
第4章・バンド解散後東京へ。ヤングジャパンに所属し“おはようこどもショー(77年4月)”“オールナイトニッポン”(77年10月)など6本のレギュラー。しかし体調不良により、事務所脱退。仕事激減するも、NHKの“プリンプリン物語”で抜擢。(24ページ) オールナイトニッポン最終回内容要約(22ページ)
第5章・名古屋に戻り鍼灸師の資格取得、名古屋で再びレギュラー、そして81年4月から87年3月までKBS京都で伝説ラジオ“ハイヤング京都水曜日”を務めるも、終了後3ヶ月ギャラ無し生活。その後同局で朝ラジオ“おはようアドベンチャー”を務める。また京都時代パソコン関連会社“つボイノリオ商店”を設立するも、順風とはいえず・・(31ページ)
第6章・名古屋に戻り93年10月より、現代まで続く長寿番組“聞けば聞くほど”の開始、及びベストアルバム“あっ超ー”発売と諸々な話(19ページ)
第7章・99年よりインターネットラジオ開始。配信元の原武士専務コメント付及び最近の音楽活動のついて(21ページ)
という内容になっています。なお書式は、つボイさんが書き綴るというものではなく、安藤獅子丸さんというインタビュアーがつボイさんにインタビューする書式になっています。
また、リスナー集会の模様、つボイさんの人柄が伺えるエピソード、芸能人本にはお約束の暴露話などに関しての記述は一切ありません。細部まで記すとあまりに膨大な量になるゆえ、つボイさんの軌跡に焦点をあてることにした結果だと思われます。そういう人間臭い内容を期待する向きには、全くの期待はずれになると思います。
では、そういう暴露的側面がないなら読んでも仕方無い・・と思う向きは多いかと思います。ところがそんな内容は無くても十分読み応えがあります。それは、あまりについてない、つボイさん自身の歴史・・よくぞここまでチャンスに見放されてしまったなという彼の人生は、普通の人なら相当めげてしまうと思いますが、そんな悲惨な人生をも笑いにしラジオで話すつボイさん・・決して腐らず、ひたむきに一生懸命頑張ってきた彼の生き様に触れることは、悲惨な今の時代に生きる我々にとって大いに勇気づけられるものになると思います。そういう点でこの本を読む価値はあると思います。