弟子の気分で修得の覚悟が必要おすすめ度
★★★★☆
孤塁の名人―合気を極めた男・佐川幸義
日本にはたくさんの武術がある稀な文化だと誇れます。その一つである大東流合気柔術。柔術だからヒクソン・グレーシーの仲間かと思うとそうではありません。
私のような素人は合気道に近い武術だと思っていました。北海道で武田惣角から教わり、70歳になってついに合気という不思議な力を極めてしまった佐川幸義の大河ドラマ。著者の津本氏自身も弟子として道場に通いました。
晩年佐川は合気を弟子に伝授することに苦心し、弟子たちも必死で修得しようとする。なかなか伝わらないのでイライラする。実はそれは著者も同じで武道、しかも非科学的とも思われてしまう「合気」を扱ってるので、それを文章で伝えるのは難しかったと思う。だから読者も弟子になった気分で抽象性を覚悟してイライラしながら読まなければならない。
それにしても気が遠くなるような修行です。この時間間隔に私達はイライラしつつも、ここに描かれているのは、格闘技でもなくスポーツでもなく生死と生涯を賭けた武術であることを読者は思い知らされるだろう。
徹底的に現実に即して、小説を書くとこうなるのだろうおすすめ度
★★★★★
小説の中でも、剣豪小説というのはいい加減で荒唐無稽なものである。何しろ、何百年前の剣豪がどんな性格をしていたのか、どのような人生を送ってきたのか、実際にどのように戦ったのか、ほとんど情報が無い。幕末でさえ危ういものがある。その剣豪を小説家が描くに当たっては、空白の部分を想像力で埋めるしかない。しかし、空白の部分があまりに多すぎる上に、元来、剣豪というのは小説家にとって、畑違いの存在である。結局、話は現実とはかけ離れた物になるが、読む方も小説家と条件は変わらないので、異議が唱えられることは無い。本作を執筆するに当たって、津本陽氏は佐川義幸という人物を何百年前の剣豪を描くのと同じように、荒唐無稽にいい加減に描くことも出来た。しかし、津本氏は佐川氏を中途半端に知り過ぎていたため、良心が許さず、それをしなかった。かといって、記録文学とするには決定的な情報が不足していた。そうした行き詰った状況の中で、佐川氏との約束を果たすために、津本氏が自ら知るところを有りのままに記したのが、本作である。その筆致は、客観的で、公平で、佐川氏の性格の毀誉褒貶もきちんと記してある。津本氏が記録文学の書き手としても、一流であることを本作は示している。
津本陽作品中、最も変おすすめ度
★★★☆☆
佐川幸義の合気が文章で表すことが困難であるため、このような小説になったのであろうが、
読み手に今ひとつその合気が伝わってこない。
ひたすら佐川幸義を褒め称え、一大勢力を誇る植芝一派を攻撃している。
そんな印象がなくはない。
不可思議な対象を扱うと、このような作品にしかならないのかと、いささか残念である。
佐川幸義本人はまさに孤高の天才だったのだろうが、この本は今ひとつだった。
一度お会いしたかったですおすすめ度
★★★★☆
私は佐川道場生ではありませんが、大東流合気柔術を稽古している身であるため、非常に興味深く読むことができました。既刊の「透明な力」と言い、佐川氏の合気の凄さがよく伝わってきます。「そんな馬鹿な」との批判もあるでしょうが、合気を学ぶ方、武術を習っている方は一読されても良いかと思います。
良い出来でした
おすすめ度 ★★★★★
背筋にゾゾゾという感覚が走りました
。従来の伝統を引き継ぎつつ、バランスがうまくとれてます。
こつこつお金を貯めてでも買う価値のある一品だと思います!