私は、何をも憎みたくなかったんだ。おすすめ度
★★★★★
「そのときのことを私は覚えている」で始まる2ページでスピード感溢れる前半はゆっくり締めくくられ、後半は関係者の内面がじっくり描かれ、ページをめくる指が頻繁に止まってしまいます。
多くの著名人が絶賛する角田光代著「八日目の蝉」ですが、確かに素晴らしい作品でした。「空っぽのがらんどう」と罵られて犯罪者となった前半の主人公に対し、不思議と責める気持ちが持てません。謝罪を求めた裁判官に対し、「子育てという喜びを味あわせてもらった」と感謝の言葉で返した彼女に共感すら覚えてしまいます。
「今までどうもありがとう、本当にありがとう」と言って最愛の恋人と別れた後半の主人公、彼女の再生の過程に痛々しさを感じながらも、同時に強さを感じます。この小説で著者が描きたかったことの1つのは、女性が母親になる瞬間ではないでしょうか。「私は、何をも憎みたくなかったんだ。」と気付き、「母」の最後の言葉「その子は...」を思い出す所は、穏やかな瀬戸内海の映像と共に心に沁み渡ります。
そして、最後の数ページ。著者はあるラジオ番組で最後のシーンに関して「最後は悩みました」と答えていました。せつなさの中にほんの少しだけの希望。希望なんて呼べない位の出来事ですが、穏やかな気分で読み切らせてくれます。忘れかけていた色んな感情を呼び覚まさせる作品でした。
(http://shuzlog.jugem.jp/?eid=85)
感動的ではあるがおすすめ度
★★★☆☆
感動的ではある。犯罪者であるのに季和子に同情し、薫との生活がいつまでも平和に続くようにと願いたくなってしまう。エンゼルホームの生活にもリアリティがある。ホームの女性たちも世間の批判の目にさらされながらも信念を持って力強く生きている。
彼女たちの強さに比べ、ただ二人きりの男性の秋山と岸田がなんと優柔不断で頼りないことか。
だが現実問題として、妻子ある男の子どもをみごもった、家族の援助も得られるかどうかわからない(おそらく得られない)19歳の大学生が、医師の「緑がきれいなころに生まれるねえ」の一言だけで「生む」と決心できるものか。
もちろん、ここで中絶してしまったらストーリーとしては成り立たなくなるのだろうが。
それから、私の周りにはそういう人はいないのでいまひとつわからないのですが、人はそんなに簡単に不倫関係におちいるものなのでしょうか・・・。
ラストシーンが、「涙の再会」でなくて良かった。
加害者と被害者、2人の女性から語られる誘拐事件おすすめ度
★★★☆☆
新生児誘拐事件を被害者と加害者の両側から描いた作品。犯罪を起こしてしまう心理、逃亡生活、宗教とセクシュアリティ、犯罪被害、トラウマ、報道…これでもかというほど多くのテーマが含まれています。途中まで犯人の視点に引き込まれてどんどん物語に入っていきますが、後半になって、被害者の眼から事件が語られていきます。ラストは被害者と加害者がある意味交錯(敢えて再会とは言いません)する場面で終わっていますが、最後に全てのテーマを無理に収集したような印象もあり、胸に迫る、というほどではありませんでした。ただ、後半、事件の背景が語られると、数年前実際に起こった、女性が不倫相手の自宅に放火した事件を思い出し、何とも言えない気持ちになりました。
「悪人」との対称性と、その意味するものおすすめ度
★★★★★
この物語の持つ深い情感は、普遍的な名作のものであるが、
そのモチーフは、今の時代を切り抜いている。
強く感じたのは、吉田修一の「悪人」との対称性である。
犯罪、逃亡、道連れ、希薄な人間関係、
他者との邂逅、豊かではない生活感、
そして善悪の真偽と世間、別離と再会への希望。
それらが、男女の性別を軸にして、
ロールシャッハテストのように左右に広がったようだ。
似たような時期に同じように新聞連載で、それぞれの話が別々に展開され、
またそれぞれに代表作となったのは、なんとも象徴的な気がする。
それは、文学、善悪、世相といった広い範囲に、
多くのもの、重いもの、を投げかけたと思える。
時代の産んだ双子の名作。
子供を誘拐した直後の、やわらかく、重みや体温を感じさせる描写
それを慈しみ、世話をし、抱いて逃げていく主人公のくだり。
自分もまた、だれかに愛され育てられたのだ、という感慨が沸いた。
救いを求めて
おすすめ度 ★★★★★
読み終わった後、説明使用のない安堵感に包まれた。私は私らしくそれでいいのだという自尊感情が芽生えた。
子どもを持ち母となり、その責任と役割に時折押しつぶされそうになる、今のままで良いのだろうか、私は良い母だろうか。そんな漠然とした悩みを抱えている方にぜひ読んで頂きたい。内容そのものよりも、読後の不思議な感覚を味わっていただきたいと思う。